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宗頭 (残75.1km) は例年より混雑していた。受付(記録係)をしてくれているさたさんを見つけ 藤井さんのことを尋ねると、リタイヤされたとのこと、う〜ん・・・。
濡れているため廊下の隅に陣取り、まずは着替えとマメの手入れ、 ついで味噌汁とおにぎりで腹ごしらえ。
宮本さんが眠気でふらふら状態なので、仮眠時間を長めに配慮し、 出発時間を安全圏ぎりぎりの午前1時とする。
ケータイを充電させておこうと取り出してみたが、なんと電源を入れても立ち上がらない。 豪雨がリュックの奥までしみこんでしまったらしい。
宗頭では大勢の知人に出会ったが、なんか頭が混乱して、断片的な記憶が散らばってるだけで、 その前後関係も実はよくわからなくなっている。
30分ほど仮眠をとり、午前1時、土砂降りの雨の中を出発。
登山用ステッキは雨で邪魔な感じがして、そのまま置いていくことにした。
INAIさん、くーさん、クニさん達は、我々の仮眠中、すでに30分ほど前に出発されたとの事。

藤井酒店 (残71.9km) が近くなった頃、逆走してくる人影を見て、あれれ?スタッフ?などと思ったが、 あとで聞いたところによると、牧野さんが藤井酒店でリタイアを決め 宗頭に引き返したとの事なので、 たぶんあの人影は牧野さんだったのだろう。
山道を上り詰めて国道に出る。仮眠のおかげかさほど眠気は感じない。

鎖峠 (残68.8km) で去年見た"大河童"が気になって探してみたが、目に入ったのは岩山と木の茂みだけ。
このあたりでどこからかふらっとINAIさんが現れる。
三見への下りでは左足スネが痛み始め、自販機の前でとうとう痛み止めを飲む。
その間に先行したはずのINAIさんがふとまた消えてしまった。
あとで聞いた話では、
人影についていったら・・・海の見える草原まで連れて行かれ・・・ 深い溝にはまって抜け出せない・・・助けてくれぇ〜と叫んだら・・・人影がコーンと鳴いた・・・とか。
オイオイ、ほんまかいな、と笑い飛ばしたいところだが、確かに鎖峠から萩に到るこの辺一帯は 「河童」も出れば「狐」もでる! 夜も更けると魑魅魍魎が跋扈する。

三見駅 (残62.9km) からはいよいよ二晩目のクライマックス、"踏切越え"が始まる。 天狗が出ても不思議ではない薄気味悪い山道を越え、 いくつかの踏切をジグザグに横切るややこしい所だ。
道案内をしつつも、この辺はいつも半分寝ているもんで記憶がなんとも頼りない。 ほほう、こうなってたのか!と改めて気付く場面もあり。
ほぼ山を下りきったところの踏み切りで、振り向いた人影はくーさん。
いっしょに出たクニさんは後ろを振り向きもせず先を急いでるという(笑)。
波が寄せる音に首を左下方へ向けると、夜明けにはまだ間があるものの、 波頭の泡影が数本、うっすらながら白く光って次々と崩れ散るのが見える。
前方に間隔を置いていくつかの赤色ライトが点滅している。 三々五々歩いているランナーに順に追いつき、追い越す。
岩にくだける波音が遠ざかると、まもなく薄明かりの中に家々の輪郭が見え始め、 新聞配達以外、他に通る人もいない街路を奥へと進んで行く。


(夜の海)

夜の海

玉江駅 (残56.1km) 着。 ここでも宮本さんはダンボールの上で一眠り。(横になるけど実はあまり眠れないらしい)
砂利ヶ峠以降、右足をかばっっていたせいだろうか、左足スネの具合がどうも思わしくない。 始めはスネの筋が張っている程度だったのが、徐々に足首に近いあたりにしこりが出来、 痛みがその辺に集中してきたようだ。 たぶん筋が炎症を起こし始めているのだろう。
走ると着地時に痛むので一足先にゆっくりスタートさせてもらうことにする。

萩城前から菊ヶ浜を通り雁島橋に向って一人で歩いてると、痛み止めの副作用のせいもあるのか、 やたら眠くてしかたがない。数歩あるいてはほんの一瞬、脚がよれたり、止まったり。
萩焼会館の手前で宮本さん・春井さんに追いつかれてから なんとか眠気がましになり、遅れじと着いて行く。

笠山 (残45.6km) の登りでは歩きながら飲んだ痛み止めが効いてきたのか、調子が出始め、 らせん状の道の上りは歩かずに走れた。
虎ヶ岬までの下りと海沿いの道も調子よく走れた。

虎ヶ岬椿の館 (残42.9km) ではクニさんが食事中。
カレーを注文、パクついている最中に宮・春ペアが到着。
岬を1周するコースは足元が悪かろうという話が出て、 距離は少し長くなるが来た道を引き返すことにする。
ここでも一足先に出て歩かせてもらう。
ゆっくり坂をのぼる途中で弟の兄さん、木村さん、他何人かとすれ違う。 宮・春ペアがまだ来ないので笠山の下の分岐で待つことにする。
ちょっと時間が気になりだしたが、時計はなし、ケータイはつぶれてしまっている。
待ってる間にくーさんも通過していった。 くーさんは森田さんとも出会ったらしいが、私はニアミスのまま出会わずじまい。
やっと到着した春井さんに聞けば、なんと、道なりに左折すべきところを そのまま真っ直ぐ海岸沿いの小道の方へ突入してしまったらしい。

東光寺に向う。この頃から足には時々ズキッとしたキツイ痛みが走るようになる。 痛み止めを飲んでいても思わず声が漏れるほど。ヤバイけどまあしゃ〜ないかぁ。 走ると痛むので、速歩で着いて行く。
宮本さんも眠気からか、時々足が止まる。 春井さんは宮本さんがコンスタントに走ってくれないのがもどかしそう。

東光寺 (残34.7km) には10時前に到着。うめ吉さん(あとで判ったのだが)に写真を撮っていただいた。 まだまだ完踏ペースだ。


(東光寺)

東光寺

松下村塾の横を通り街中を抜け往還道方面へ向う。
途中で足が痛み、薬を飲んだりバンテリンを擦り込んでる間に遅れをとるが、 走れないのですぐには追いつけない。そのまま2人の背中を見失ってしまう。
料金所手前の登り坂で登山用ステッキを置いてきたことを悔いるが後の祭り。 杖になる棒を探すと角材が転がっていた。持ちにくいがまあ良いか。
250kmと70kmのダブル完走を目指すウィローさんに、 なおちゃんが激励しつつ併走しているのを見たのはこのあたりだったか。
もう一人、同じくダブル完走を目指すNAMIさんとは出会えなかったが、 70kmに出場されてた奥さんに「NAMIさんは?」と尋ねると 「後ろ!」と誇らしげに?答えられた(笑)

萩有料道路料金所 (残27.2km) またの名を萩往還道公園に到着。おにぎりを頂く。リタイヤして応援に回っているという人が、 たぶん杖をついた姿に同情してのことだと思うが、ブドウ糖の塊をくれて、 「私の分までがんばって!」と激励してくれた。 どなただったか覚えていないがありがたかった。


(萩有料道路料金所)

萩有料道路料金所

往還道の山道へ入る。2年前の"リタイヤ決断ポイント"の前を苦笑しながら通過。
山道の下りで、軽くて長い竹を見つけて杖を取り替える。
その杖の使い方を研究中?に140kmに参加のふきこさんに追い越される。

明木エード (残23.6km) でまた宮・春ペアに合流、ここでも宮本さんは仮眠したくて横になられたが やはり眠れなくてあきらめられたようだ。
饅頭を3個よばれる。今回は胃が丈夫なのがなにより。
足がこんな状態で、さらに胃がやられていたらたぶん精神的に参ってしまうだろう。

宮・春ペアに数分遅れでスタートする。
沢沿いの砂利道を登る。勾配が徐々にきつくなっていく。
一人で歩いていると眠気が襲ってくる。5〜6歩進んでは立ち止まりまた進む、 これをふらふらと際限なく繰り返す感じ。1升谷の石畳にさしかかる。 去年は元気にあっという間と感じた坂がなんと今年は長いんだろう。
ふと前をみると、石畳にしゃがみこんでる人がいる。 近づくと、おっと、宮本さんと春井さんだ。宮本さんが眠気で動けない?とか。
もうすぐ坂の上です、頑張りましょう!と言ってまた3人で進む。
これで私も眠気のピークを越えられた。
残り僅かの石畳を上り切り、釿切(ちょうぎり)の集落へ出た。 お気に入りの風景だが、雨模様の上に足が痛むとあれば感動に浸っている余裕は無い。


(雨の釿切)

雨の釿切(ちょうぎり)

国道へ出てから再度山道へ入るあたりで、足がうずくと同時に筋が攣りそうになり 思わずウッとうなって立ち止まってしまう。多少の痛みはがまんできても 攣ってしまっては一巻の終わりだ。
痛み止めとバンテリンのマッサージで処置をしたが、とっくに先に進んでいるはずの 宮本さんと春井さんは、ちょっと地道に入った辺りで重苦しい顔で立ち止まったままだ。 いきさつの詳細は聞かなかったけれどリタイヤの話が出ていたようだ。
意外な感じで驚いたが、ともかく行きましょう、と宮本さんの腕を掴んで しばらくいっしょに行くものの、所詮、この足の状態では自分を運ぶのに精一杯、 遅れて歩いてくる春井さんを待って代わってもらおうとするが、 「これじゃたぶん間に会わないでしょう」と言う。
3時までに佐々並につけば大丈夫、と答えるものの、
「見えてる人、走れる人の基準でしょう?」と言われてしまう。
宮本さんなら、山道はそれほど極端なハンディにはならないはずとは思うものの、 眠気で脚が進まないとなると、やはり間に合わないかもしれない。
春井さんもさきほどから宮本さんがなかなか思うように前進してくれないのが そうとう堪えているみたいだ。
結局、それじゃぁまずは佐々並までのあと3km、ともかくそこまではいっしょに走って みようという事になり、私も奮起一発、くだりの山道を杖をつきつつ走り始める。
不思議なもんで、その気になれば痛む足でも意外に走れて、二人を引き離して 山道を駆け下り佐々並へ。


(佐々並付近)

佐々並付近

佐々並 (残14.4km) では、さたさんが首を長くして到着を待っていてくれた。
宮本さんの様子なんぞを話しながら待つこと約5分、二人の姿が現れた。
先ほどまでは
「板堂峠からは石畳もあるので、残り3時間だと宮本さんにはきついかも・・・ ほんとは2時半までに来て欲しかったけど・・・」と言ってたさたさんだったが、 なんと宮本さんを迎えるやいなや、一気豹変!
「良かった良かった!これなら行ける!だいじょうぶ、絶対行ける!」と 宮本さんの肩をゆすりながら声をかけた。
すると、先ほどまでの逡巡がうそのように宮本さんのランナー魂に火が点いた。 あわてて、とうふをほうばると、ほとんど脱兎のごとくエードを後にするではないか。
小柄な宮本さんが大きい春井さんを引きずるようにして遠ざかって行く様を、 ぽかんと口をあけ、追いかけるのを忘れて見送った。

あと3時間頑張ってくれ!念仏を唱えるごとく、痛む足に言い聞かせる。
残るルートの足元の様子はわかっている。走れなくとも大丈夫。 気を抜かずに歩き続けるだけでいい。これで絶対間に合うはずだ!
板堂峠までの舗装道路の登りはいつもなら暑くて長い最後の試練だが、 今年は日が照りつけない分、体はずいぶん楽だ。
雨も止んだし、胃腸も元気、まだまだ気力も残っている。
途中の草もちエード(去年までとは場所変わっていた)にも道路を横断して きっちり寄らせていただいたし、「間に合いますかねえ」と不安そうに尋ねる人にも、 大丈夫、間に合います!と、"さた風"に断言しながら、 ともかく自分の信じるペースで進んだ。
足が痛み始めるとすかさず痛み止めを飲んだ。足のためには危険信号に素直に従うに 如くはないが、どうせ前へ進むのなら、少しでも気分的に楽なほうが良い。
ときたま、ズキッと痛んでスネが攣りそうになり慌てて杖にすがりつきもするが、 足の痛みもこんなもんだと思いこんでしまえば、さほど苦にはならなかった。
上下とも白いカッパ姿で杖を突いていたので、仙人のようだったと後ほど 数人から言われたが、確かにこの時は、頭を真っ白にしてただひたすら歩むだけ・・・ 周りを見回すぐらいの余裕、人と話せるぐらいの余裕はあったつもりだが、 傍から見ればほんとうに一途に歩む仙人か修行僧のごとく見えたかもしれない。

板堂峠 (残6.1km) を越え最後の石畳道を下る時も、去年なら飛んで降りたのになあと苦笑しつつ 杖に頼って下ったが、下る速さはそれほど他の人と変わらなかった。


(板堂峠付近)

板堂峠付近

天花畑 (残3.6km) へ出る、ここまで来るとさすがにとうとう帰ってきた!という感がある。
スタッフに残り時間を尋ねるとあと30分弱とのこと。残るはわずか3.6km。 夕方6時に帰還するには丁度良い時間だ。
スタート時間の関係でさらにまだ25分の余裕はあるのだけれど、 時計を持っておれば6時丁度のゴールも演出できたかも知れない。(笑)
ゆっくりだが走り始める。杖を突きながらそれなりのリズムが出てくる。
錦鶏湖を右手に見ながら最後の坂をくだっていると、 ふじもっちゃんが逆に坂を登ってこちらへ近づいて来、 お疲れ様と言いながら写真を撮ってくれた。 坂を下った曲がり角には牧野さんも迎えに出てくれていた。


(最後の坂を下る)

最後の坂を下る

瑠璃光寺 (gole) 前の花道は降り続いた雨のためか一般の見物客はいつもより少ないようだ。
250kmの疲労とダメージをどんなに溜め込んだ足でも、 最後の坂だけは走って登れるから不思議だ。
ゴール前にたむろするスタッフや知人の歓迎を受けながら瑠璃光寺の門をくぐり、 往還道を一緒に付き合ってくれた杖をしっかり握り締めて ゴールテープを切らせていただいた。
10分程前にゴールしたという宮本さん・春井さんとも、お互いの敢闘を祝して握手。
無理をさせてしまった足にはただただ感謝するのみ。


(ゴール直後)

宮本さんと握手

*

ほんとうに萩往還の完踏とリタイヤは紙一重だとつくづく思う。
私にとってはリタイヤの誘惑なんて女の誘惑にくらべればめずらしくもなんともないが、 トップクラスのブラインドランナー宮本さんと、長距離伴走の実績に於いてはこれまた 右に出るもののいない春井さん、という強豪ペアにおいてさえ、 今回はリタイヤの誘惑に身動きできなくなった。
それを救ったのは、元"萩の女王"、今や"世界のさたさん" のたった一言の激励だった。

*

わざわざ買ってはみたものの、 宗頭に置いたままで、何一つ役に立たなかった登山用ステッキですが、 その後帰宅してからは、ほんとうに良く活躍してくれました。
(前頚骨筋炎症により足首が腫れあがり、まともに歩けるまでに約2週間)

<完>


(注)使用した写真は、植村さん、大友さん、ふじもっちゃん(以上3名はUMMLer)、 および、うめ吉さんが撮影、公開されたものを 適宜編集して利用させていただきました。

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