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文・イラスト / 貴船庄二


 も  う四年以上も前になるのか私が島の公民館長を務めた頃、「口永良部教育振興推進協 議会」と、訳の分かったような分からぬような、やたら長い名称の会が発足し、その会長 となった。この会の趣旨は、老齢過疎著しいこの島で定住促進を図り児童生徒を確保しよ うということで、当時のPTA会員からこの会の結成が公民館に要望されたのである。こ の教育振興推進協議会なる長い名称を持つ会の呼ぴ掛けに、四年以上も経た現在、呼応し て来た青年がいる。ビトウ君という青年協力隊二年、家具職四年を経験した二十七才にな る非常に真面目な青年である。島暮しをしてみたい、自分の住む小屋は自分で建てたい、 自分で食べる物は少しでも自分で作りたいと言う。
 私は成るか成らぬか「ユース・ホステ ルくちえらぶ」の建物を言わば手造りで建てており、かれこれ三年以上を費し、現在内部 の造作に入っている。私にとってはビトウ君は”飛んで火に入る夏の虫”で、ビトウ君に とっては”渡りに舟”で、両者の利害はほぼ一致しているのである。
 さて、大工仕事の休息時にハジキという釣りの話をビトウ君に聞かせたところ、ビトウ 君は目を輝かせて是非そんな釣りをしてみたいと言う。私は再ぴこの島に移り住んで以来 ほとんど釣りをせず、もっぱら貰い魚を食るのが専門なのだが、聞かせた以上は、ピトウ 君をハジキ釣りに連れてゆかなくてはならない。

 私  は二十六の歳に島暮しを始めて以来十 年、釣りぱかりしていたと言っても可笑しくはない。近所のオジが釣り竿に適したコサン 竹の群生する山へ連れて行ってくれたのだが以後毎年その山で一年分の竹竿を切った。コ サン竹の林は、島の至る処で自生する琉球竹と違って美しい竹山であった。杖ぶりや葉の 繁り方が何か透明感があって、中に踏み入っても気持がいいのである。しかし竹の子の味 に関しては琉球竹には敵わない。これだと思う竹をゆすって、竿先が整っているか確認し てから切った。それはモハメ竿、これはへき竿、これはハジキ竿と竹をゆすり一年に必要 な本数を切った。切った竹は持ち運ぴ易いように、大まかに鉈で枝を落し、山の至る処に 絡みついている葛で束ね、家に持ち帰った。庭先で枝を丁寧に切り落し、それを砂浜に 持ってゆき砂で竿を磨くのだが、竹に付着した埃を落し表面に傷を付けるのである。そし て海水で洗い戸外に干しておくと、一と月程で軽い腰のある釣竿となる。火を焚いて竹を 炙り、滲み出た油を拭き取り、曲がりを矯正する方もあるが、私には竿先が少し曲がって いる方が見易く、そこまでする必要は感じなかった。
 庭先に干した竿がだんだん軽くなってくると、つい手に取って魚が釣れた恰好をして二 ヤニヤするのだが、そういう時、決まって妻はバカにした表情を私にして見せる。フッ ヒッヒ〜♪ バカにされようが楽しいもんは仕方ないね ホッヒッヒ〜♪
 妻もたまには魚釣りに連れて行けと言うことがある。イヤなことである。妻など連れて ゆけぱ道具を作ってやらなければならないし、餌も付けてやらねぱならない。釣れたら 魚を鉤から外してやらねぱならないし、悪すれば私も釣られそうで、大名釣りのお供 御免である。ましてや妻は足の届く処ではぐ真似は出来るのだが、足が届かないと分か るとパニックを起し溺れるのである。妻にがみつかれて二人諸共海の藻屑と化すのは大い に有り得ることで、とにかく釣りは独りがいい。

 島  の釣りで初心者でもよく釣れるのはベラやモハメだが、モハメはブダイのことで藻を 食(は)むことから島の呼び名である。モハメにも沢山種類があって、総じてカラフル で、青・赤・緑・黄・ピンク・紫などけぱけばしくラッカー仕上げされた様な魚で、頭部 はインディアンの戦士さながらに赤や緑の縞模様を施しており、初めは私も…食べれるん かいな…思った。しかしこれが実に旨いのである。刺身にすると薄いピンクがかった白身 で甘みがある。小さいものはブツ切りにして塩を擦 り、そのまま油で揚げると鰭や小骨までカリカリと食べられる。
 島で釣れる魚はほとんど 私は釣り餌としては大概舟虫を使うのだが、魚によっては切り身や小魚を使うことも ある。島ではこの舟虫をアマメと呼び、ゴキブリを可愛いくしたような虫で、私も初めは 何だか気色悪かったが、岩の上にゴマンといるこの虫で魚が釣れるんだと思うと、何んだ か愛しくなって背を撫でてやりたくなるのね。近頃では島民もオキアミやエビを店で買 い、このアマメを捕る姿が見られなくなった。
 アマメは夏の暑い時期は海辺の岩の上にビッシリいて、壊れた傘の布を利用して作った アマメ捕り器であっという間に捕れる。このアマメ捕り器は、二股になった小枝の一方 を切り取り、その付け根と一方の枝の先を丈夫な紐で引っ張り結ぶと、柄の付いた弓形の ものが出来る。その弓形に古傘の布半分を縫い付けてゆくと漏斗状のものが出来る。そ の下をポリ容器が入る位切り取り、古靴下を縫い付け、その中に長いコップ状のポリ容器 をスッポリと収める。これを片手にもう一方には葉の付いた小枝を待って岩場にゆき、布 を縫い付けた紐の部分を凸凹した岩に当てると、だいたい隙間無く岩に添うのである。小 枝でポンポンと岩を叩くと、アマメはそれを避けてゾロゾロと移動するわけで、アマメ捕 り器の方へ追い遣るのだ。アマメはバカだから、捕っている私も似たり寄ったりではある が、ゾロゾロその中に入ってゆく。たっぷり入ったなと頃を見計り、アマメ捕り器をバサ バサとゆすってやると、ポリ容器に落ちて這い上がれなくなるのだ。これを数回繰り返せ ば、あっという間に釣り餌は0・Kである。さあ皆さん、釣りに出掛けるぞ〜。

 魚  は潮が満ちて来る時の方がよく釣れる。又少々波があった方がよい。晴れているより 曇っている日の方がよいようだが、限ったことでもない。時化たときは魚も腹が減ってい るのだろう、食いが良い。今日はモハメ釣りをしよう…アカジョガセにゆくか…いやクロ ダガセにしよう…女房が連れて行けなんて言わなければいいがなぁ…。
 クロダガセは潮が干いていれば、足を少し濡らすだけで上がれる岩場である。この岩場 は北に向いた口の広い湾にあって、当時の我が家から松林の中を縫い歩いて、三十分程の 処にある。途中に大きな岩の割れ目からこんこんと湧き出る水場があって、行き帰りにそ こへ頭を突っ込んで水を飲み、涼をとった。六月頃、松林の中は群生するホウロクイチゴ が赤と黄の実を、濃い緑の大きな葉の間にいっぱい着けており、立ち止まってはその実 を摘み口に入れる。実にはひげが付いていて、口に入れると少しもしゃもしゃするのだが 甘酸っぱい良い味がして喉の褐きを癒してくれる。

家族揃ってそのイチゴを摘みジャムにするのだが、よく晴れた日に摘まないと雨臭ジャムが出来る。この雨臭ジャムは子供たちが付けた呼び名で、食べられぬことはないのだが、何となくカビ臭い味がする。赤より黄の実の方が甘く、子供たちは摘むより食べる方が多く、妻はせっせと摘む。私はすぐ飽きて魚釣りに逃れようとするのだが、妻はそれを許さない。

 先  ずアマメを一握り両手でゴシゴシと擦み潰し、釣り場に撤く。ぐちやぐちやする手を 潮溜まりで洗い、竹竿に糸を結ぶ。鉤を結ぶ糸は、魚に切られたくないから始めはなるべ 太いものを使い、喰いが悪い時は少しづつ糸を細くしてゆく。逃げた魚の目に掛かった鉤 はいずれ海水で錆び落ちるかも知れないが、ナイロン糸はいつまでも残るからね。鉤から 三十センチ程離して、米粒程の噛み潰し鉛を二〜三個付けて、海にポチャリ。
 小魚がまず餌を毟る。餌の回りを小魚が泳ぎ周り、大きなやつが少し離れてゆったり泳 ぎ、餌を検分している。あれはアカサだな…あれは旨いからなあ…コツン・コツン…オマ タンコだな…まだまだ…さあパクッとやれ…チョッ餌を取られた…ん…いま通り過ぎた でっかいやつは何だ…ああ青バチだな…よしよしちょっと待ってろ、いま釣り上げてやる からな。
 竿先がクーッと下がる…来た…手首を使って竿を跳ね上げる…かかった…竿がグッグッ グッと音を立て根元からしなる…さっきの青バチだ…思ったより大きいな引き込まれるな よ…腕を伸ばして竿を立てるんだ…グッグッグッ…なかなかしぶとい奴だ…少し弱ってき たな…青バチは水面まで上がって来て、バチャバチャやったかと思うとカを振り絞って また潜り込む。まだ糸を手にとるのは早い…これを何度か繰り返すともう潜り込む力も無 くなり、海面をバシャバシャやるだけである。糸を手にとりソロリソロリと引き上げる。 に手を入れ喉を引き裂き首を折る。刺身にする魚はこうやって血を抜くと格別に旨いのだ。

 釣  りも熟練して来ると、竿のしなり具合いや魚の動き方で、大きさや種類そして雌雄の 違いも分かるものである。また餌の毟り方でもほぼ見当がつく。それによって竿の合わせ 方も若干違って来るのである。釣れた魚がほとんど小魚でも、食べる分を釣ったらもう帰 ろう。小魚でも料理の仕方で旨いのだ。つい釣り過ぎたら、干物や酢漬けにして保存食に するか、近所の爺さんや婆さんに食べてもらおう。
 そして皆さん海の恵みに感謝しよう。

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魚釣り(その2)