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文・イラスト / 貴船庄二


 冬  、島に北西の風が吹きつけ海辺が白く泡 立つ頃、私はいそいそとハジキ釣りに出掛け る。ハジキ釣りとは、糸を手にとって魚を上 げることが出来ない荒海で、四尋(ひろ)半程もある 長く太い竹竿で大きな魚を後へ弾き飛ばす釣 りである。ちょっとカツオの一本釣りに似て いて、豪快な釣りで結構危険な釣りでもある。 島の青年が波に浚(さら)われたか足を滑らせたか分 からぬが、この冬の海で死んだ。
  私も何度か ヒヤッとする目に遭っている。島人も多くが 年を取り、竹籠を背負い腰には餌籠を付け、 長竿肩に白く泡立つ岩場を転々と釣り歩くこ の釣りに行く人はもういない。 私は大小合わ せてかなりの数の魚を釣り、もうあまり釣り には執着はないが、竿から伝わって来る大き な魚のあの手応えを思い出すと、このハジキ 釣りには又行こうかなと思う。

 獲  物は主にシツ・ワカナ・スバチ・ツブセ など磯魚で、潮具合が良い日は籠一杯になる こともある。主によく釣れるシツ(イスズミ) は魚らしい姿をしており、非常に引きの強い 魚である。1kg〜2kg位のものがよく釣れる が、たまには3kg程もあるのが釣れる。冬の シツは脂が乗っていて、皮を焼いて刺身にす ると何とも香ばしく、島人の好む魚で、街で はまず目にすることも口にすることもない。 ワカナ・スバチは共にメジナの種で、シツ程 の引きの強さはないが上品な肉質の魚である。 ツプセ(イソゴンベイ)は柄は小さいくせに 口が大きく、大魚並の餌の毟(むし)り方をする。 骨は固いがしまった身は鍋物にすると実に旨く、 大きいものは刺身にも良い。

 餌  はやはりアマメ(舟虫)を使うが、冬場 はこのアマメも岩や石の下に這い込み日中は ほとんど姿を見せない。しかし夜の干潮時に は何か餌を探すのだろう。ゾロゾロと水辺に 這い出て来る。夏の暑い時期は非常にすばし っこく手ではなかなかつかまらないのだが、 夜、懐中電燈で照らすとじっとしていて、大 きなアマメを選んで一匹ずつ素手でつかまえ るのである。腰に下げた小さな竹籠は、口に プラスチック板などで虫が這い出られぬよう にしてあり、20分程かけて手で一匹一匹つ かまえそれに入れると、一日分の餌は0Kで ある。

ハジキ用釣竿の絵

 さ  て餌もとれた…明日の風はどっちかなあ …東寄りならノザキにゆくか…北西が強けれ ばニゴリだな…まあ風次第だ。潮時によって は朝まだ暗い内に起き出し、岩場に着いて道 具の用意をするのだが、竿先から三尋程は30 号の糸を付け、あとの一メートル程は20 号の糸で大きな石鯛鉤かアジ鉤を結ぴ、40 センチ程離して小指大の鉛を付ける。大きな 魚を弾き飛ばすために糸の長さは竿より一尋 程短い。そして岩場を移動し易いように鉤を 竿に引っ掛けるようにしてある。さあでっか いのを釣るぞ〜。

 こ  の窪みの向うは少し深いな…白い泡立ち も申し分なし…足場も確りしている…右に弾 き飛ばせぱいいな…よしここから竿を出して やろう…大きなアマメをつまみ出し鉤に付け、 竿を振って白浪の中にポチャリ、餌が深く入 り過ぎない様に竿をあやつるのである。目指 す魚は瀬際の表層近くにいるのだ。魚から感 付かれないように気を付けなければならない。 竿を下げ過ぎて鉤や錘が岩に掛かれば、20 号の糸は、竿と一本にしてズルズル岩場を後 退しないと切れないのだ。ましてや上部の30 号が引っ掛かれば、糸を肩に全身で退(さが)らな いと切れない。

 カ  ツン…竹竿を通して手に伝わった。いる …いる…羊を上げるときれいに餌が取られて いる。このシツという魚は上板が固く、思い 切り竿を跳ね上げないと鉤が食い込まず、よ く逃がすのである。カツン…うふふ、慌てる なよ…まてよ次の波は大きそうだな…退散退 散。波は周期的に大きいのが来る。七つに一 つは大きい、しかも思わぬ大波がたまにやっ て来る。その前には潮がぐーっと変に引くの で何となく分かる。そんな時はすたこらさっ さと一段高い処へ避難するのだ。怖がり屋で ないとこの釣りをしてはいけない。波を見計 って又竿を出す。
  カツン…思い動り竿を跳ね 上げる、ガツンと岩を引っ掛けた様な衝撃が 体を走り、ゴーッと竿が捻る。引き込まれる竿 を必死で持堪えるのだが…グッグッグッ…魚 の重みが竹竿を伝って来る。堪え切れずに魚 は方向を転じる…今だ…満身のカを籠めて竿 を引き上げるのだ。プワーン…えび反った大 きなシツが私の胸の辺りを飛んでゆく、後の 岩にブチ当たったシツは鱗を飛ばして…バチ バチバチ…凄い音を立てる。バチバチバチ… 手で抑えられず足で胴体を踏みつけ、鰓に手 を入れ喉を裂き、両手で頸(くび)をへし祈るのだ。 ボキッ…喉から血が噴き飛ぴ、身はピクピク と動き続ける。私は手を血で染め大きく息を 吐く…まず一匹…今日は大漁するぞ〜。よし もう一匹だ…竿先がグッと下がり思い切り跳 ね上げる。ブーン…小さな魚が遥か頭上を飛 ぴ、鉤から外れて後方の岩の陰に隠れてしま った。やれやれツブセだな…柄は小さいくせ に大袈裟な奴だ…たまに何処へ飛んで行った か探し当てられないこともある。

ツブセ(魚)の絵

 ハ  ジキ釣りはこういう具合に磯を転々と伝 いながら、竿を出せる処を釣り歩いていくの だが、近頃ではこの釣りをする人はもういな い。十数年振りに私はこのハジキ釣りに出掛 けたのだが、やはりよく釣れた。もちろん釣 れない時もあるがね。舟虫を餌に太い糸鉤竹 竿を使う、この豪快な釣りを何故島人はしな くなったのか…島人の多くが年をとり足腰が 弱ったわけだが、若い人たちにはもう生活の 厳しさや糧を得る意味は既に無く、釣りは単 なる楽しみとなっている。
  昔から釣りは楽し いものである。しかし糧を得る意味は大きか った。そして様々な工夫を凝らした。近年、 釣り道具類の精度強度はますます高まり、オ キアミやエビなど餌も手軽に入手出来るよう になり、島人たちもこの項では、如何に細い 糸や鉤で大きな又価値ある魚を釣ったかが話 題になる。鹿の角を削って鉤を作り、それで釣 ったという方が余程面白いと思うがなあ…暇 が出来たら、バショウかバナナか何がいいだ ろうか、糸を縒(よ)り、骨や角を鉤に、錘は石コ ロで竹竿使って釣ってみたいなあ…などと私 は思っている。

 さ  てこのハジキ釣りをしてみたいと言うビ トウ君に、竿作り餌捕りを教え、何度も磯へ 出掛けた。ビトウ君は大きなシツを幾匹も釣 り、そして逃げられ、モハメ・スパチ・ツプ セ・ベラ・カワハギ・サンカン・ノブス・ウ ナダカ・キダカ(ウツボ)も釣った。もう独 りで何もかも出来るようになっている。竹竿 を使い、太い糸大きな鉤そしてアマメを餌に、 撒き餌もせず釣れるこの島は…本当に豊かな 海だ…とビトウ君は言う。この豊かな海を前 に、私たちは足ることを知り、自然を相手に 人はどう生きねぱならぬかを、哲学しなけれ ばならない。他の生きものと人は同等である と、覚悟出来る人であらねばならない。正直、 私も多くの人たちと同様覚悟の至らぬ人間で ある。しかし真面目にそう思っている。

シツ(魚)の絵

 当  時、私たちの住む家は桟橋から歩いて数 分の処にあり、この桟橋は20メートル程海 に突き出ているだけで、絶好の釣り場であっ た。この島に初めて足を降した時、桟橋が魚 だらけであったのを今でも憶えている。何と まあ…魚だらけの島ではないか…と思った。 ちょうど桟橋の周りがキビナゴの群で真黒に なっていて、子供も年寄りも竹竿を手に桟橋 の上を走り回っていた。小鉤を沢山付けた竿 でキビナゴを引っ掛け、まだ生きているその 小魚の目に鉤を通し、それを餌として釣って いるのである。またたく間に細長い魚が釣 れ、たまにカマスやアジなども釣れている。 私は正直呆れた。
  細長い魚はヒエンロ(アカヤガラ)やサン カン(ダツ)で、ヒエンロはラッパの様な口 をしており鱗が無くヌルヌルしているのだが、 小骨が全く無く鍋物やフライに絶好で、子供 たちにも食べ易い魚だ。釣れたら焚物の様に 束ね縛り、持って帰ることから、タツガラとも 呼ばれている。サンカンは長い嘴(くちばし) に鋭い歯を持ち、骨は青く、塩焼きや干物に すると旨い魚である。

 私  のもっぱらの釣り場はこの桟橋で、早朝 未だ明けやらぬ中、竹竿担いでいそいそと桟 橋へ出た。突端にどっかり座って竿を出し、 釣り糸を垂れているだけで気持ちよい。空が 白み、正面の火山新岳が静かに岩肌を見せ始 め、海の底が見え出した。魚の姿は全く無く ・・・まあそろそろ出て来るだろう・・・と眺めてい ると、全く急に大きな、私位ありそうな魚が ゆったりと通り過ぎた。ギョッとして眼を凝 らし真下の海底を見詰めていると、次いで一 回り小さい魚が数匹後につづいた。私の垂れ る糸には何の反応も無い。次いで又一回り小 さい魚が数を増し通り過ぎた。私は釣りなど 忘れて海の底を桃めていた。だんだん魚は小 さくなるのだが数は増す一方で、その行列の 最後尾は小指程の夥(おびただ)しい小魚であった。
  様々な色が華やかではあるが、どことなく 御伽噺(おとぎばなし)の光を放っているのを、 私は観たのか思ったのか、私は唯々見惚れていた。

 あ  の魚たちはきっと龍宮城へ行ったに違 いない…私も泳ぎが達者であれば従いてゆき、 龍宮城で海の生きものたちの踊りや歌声を観 て聞いて、何百年も愉快に暮したであろうに…
  残念ながら私は龍宮城へ行きそぴれてしまった。

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