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イクばあちゃんと ヒノばあちゃん
(その1)


文・イラスト / 貴船庄二


 私  がこの島に住み暮すようになっ たのは二十六の歳であるからもう二 十三年経ったことになる。その間八 年程島を出ていたから、私たちはI 夕−ンでUターンであるからI・U ターン家族ということになるのかな。
  表題のイクぱあちゃんとヒノぱあ ちゃんは島暮しを始めた頃近所に住 んでいたばあちやんで、当時を振り 返ると必ず思い出す。イクぱあちゃ んは島で旅館業を営むオジの母御で 当時八十才を超えていたろう、島の とり上げ婆さんつまり産婆である。 ヒノばあちゃんは私たちのすぐ斜め 下に独り暮す婆さんで、当時八十才 になってはいなかったと思う。
  二人とも私たちが島に移り住んで 一年程経った頃逝った。
  五十トンの小さな 定期船第一太陽丸が二百トンのフェ リー第二太陽丸に変ったことは、島 にとって大きな変り目であったが、 この二人のばあちやんがこの世を去 ったことも私には大きな変り目のよ うな気がして、それは再び蘇るとい う代物ではなく、何か大事なものを 失ったという感がするのだ。

 私  たちが借りた空家は小さな谷間 を少し登ったところにあって陽当り は良いが、土間は表と裏に引き戸が あるだけで薄暗かった。片隅にパイ プを剥き出した簡易水道の蛇口がひ とつあり、湿った土の上に錆びた鍋 釜が転がっていた。ガスやレンジが あるはずもなく、とりあえず庭に転 がっている石を組んで周りを土で固 めかまどを作った。水は勢いよく出 るが流し台がないので、裏庭の境に 密生する竹を切り簀の子にしてその上で 食器を洗った。その隙間からボタボタ 落ちる水が足をビショビショ濡らすの で、足元に飛沫除けのビニールを張っ た。転がっているアルミ鋳物の飯炊き釜 を磨き、厚板が丸く切れないので横木を 一本渡して把手にした八角形の不細工な蓋を作 り、これで米を炊くことにした。
  妻は火吹き竹が欲しいというので 私は両側の節を切り落した竹筒を宛 てがい、八ケ月のどん腹でかまどの 前にしやがみ込みそれをフウフウや った妻は目を回してしまった。火吹 き竹は片方の節を残して小さな穴を 明けたものだが、私も妻もそんなこ とを知らなかった。妻はその話をす るとき今でも恨めしそうな顔をする。

 当  時電気はあったがまだ時間送電 という奴で、朝方と夕刻より夜十時 頃まで電気が通った。私たちは夜遅 く朝も当然遅い典型的街人間で、夜 ローソクを点し外に出れば満天の星 で、朝はお陽様がそれこそ天高く昇 るまで寝ている。若い人は人生まだ 先が長いのか昼まで寝ているが、島 民は大概朝早く年寄りなどは実に早 い。用あって訪ねて来る島民や家主 は業を煮やして雨戸をドンドン叩 き、年寄りなどからは…眼が腐らん かねえ…とからかわれ、流石に恥か しくなったのか妻はだんだん朝が早 くなり、しまいには未だ明けやらぬ うちに起き出し、十間の戸をいきな りサッと開けるのが趣味になった。 何故そんなことをするのか妻は・・・そ の頃外は物の気がいっぱいで騒がし いの・・・それを驚かしてやろうと思う となにかムフムフしてくるの…と言 う。フム、妻は島の朝が気に入った らしい。

 土  間は日中でも薄暗く大きな窓を 作ることにした。窓の大きさを決め てその部分をスッポリ切り取った。 いきなり明るくなった土間は外気と 一緒になり、交叉したガジュマルの 枝の中で火山が明るく鎮座してい る。窓の縁は海辺から捨ってきた厚 板を打ち付け、切り取った板はその 窓の戸板に使った。厚い皮のベルト が埃を被って転がっていたのでそれ を蛛番の代わりに戸板と縁板に打ち 付け、跳ね上げ式の窓にした。その 窓辺にやはり海から捨ってきた板で テーブルを作り付け、そこで食事を することにした。戸外で食事をする ようで大いに気持宣しい。
  大概の家主は勝手に改造されるの を厭がるものだが、我が家の家主は この窓を見て…よか窓が出来たがな ・・・と意に介さない。裏庭に風呂小屋 があって五右衛門風呂はところどこ ろ穴が明き、家主の意見を採り入れ て粘上とセメントを混ぜたもので塞 いだ。風呂小屋とは名ばかりで、湯 に浸りながら上を見上げればやはり 満天の星であった。

 当  時島では四百人程の人日があ り、商店は農協を含めて七軒あった。 妻はどん腹を突き出して二才前の長 男の手を引き、四才前の長女は先頭 を切り、私は後からゆっくり歩いて 買い物に出かける。妻は少々近眼で 五十メートルも離れた向うから来る 島民に有りたけの笑顔を向け、すれ ちがうまで三度も五度もおじぎをし た。
  私は生来ヤクザな気質で、失礼 があったらどついたろかいなといっ た風で愛想が良いとは言えない。後 に聞いたことだがそんな私たちを見 て…あん奥さんはちと頭がおかしゅ うて…きっと向うでよそん男の種ば 孕んで…わけありでこん島まで逃げ て来たんじゃろ・・・というのが、この 島に流れ着いた私たちに対する島民 の主流観測であったそうな。島民は どうしてなかなか想像力豊かなので ある。

 私  たちの他にもう一組わけありの 夫婦が少し離れて集落の外れに住ん でいた。私たちより一と月程前に島 へ来たという。享主は私より十才程 年長の陶芸家でイチノミヤと名乗っ た。イチノミヤ氏は…オレは焼き物 屋だ…という。私はかって焼き芋屋だ った。奥さんは私よりやや年長でや はり妻同様どん腹を突き出してい た。妻とその奥さんが並んで買い物 をしている光景は確かに壮観であ る。島民の想像力が刺激されるのも 無理からぬところで…恥かしげもの うて太か腹ぱ突き出して・・・と女子衆 の陰口に、イチノミヤ氏はそのどん 腹コンビに…腹の先っちょにリボン か花を飾れ…と言う。

 こ  の焼き物屋イチノミヤ氏が私の 長男森の誕生目に、贈り物の手作り 三輪車・正確には四輪車だがを持っ て我が家を訪ね、それをドカッと土 間に置いた。モリ君誕生目おめでと う…モリは勿論のこと私たちもそれ を見て目を見張った。それは焼き物 の燃料に使う松で全て作られてお り、車輪は松の輪切りで、ハンドル は松枝を便い、サドルは鉈で削られ ていた。そレて焼き印で森と銘打っ てあった。削られた薄黄包の木肌は 明るく輝き、松のよい匂いがした。
  この贈り物にモリがどんな反応を 示すのか私は何だか不安であった。 贈った本人のイチノミヤ氏も同様で あったろう。この贈り物を前にして 私も妻も…さあお礼を言いなさい・・・ などとつまらぬことを言えるはずも ない。そんなことはずっと後でよい のだ。モリは離れた畳の上でしぱら くそれを眺めていた。イチノミヤ氏 は素知らぬ風をしてモリの反応を伺 っていた。土間に降り三輪車に近づ いたモリはそこで寝転び、上眼使い にそれを眺め、寝返ってはそれを眺 め、たまに手を出してそっと車輪や サドルに触れてみる。そんなぐあい にその周りを寝転ぴながらぐるぐる と回っていた。やがてモリは意を決 したような顔で私が使う金槌と五寸 釘を持って来るや、その明るく輝く サドルに五寸釘を幼椎な手つきでは あるがゴツンゴツンと打ち立てたの である。

 私  たちはギョッとした。全く以て ギョッとした。更に小さな釘を数本 持って来てハンドルにも打ちつけた。 しぱらくそれを眺めたモリはふっと 息をつき、三輪車を押したり引いた り遊び始めた。イチノミヤ氏の顔を 覗くと、引きつっていかついその顔 がふわっと緩み、次いでウワッハッ ハ〜とそれこそ大きな哄笑を挙げ た。私も笑った。妻もぬい子も笑っ た。モリはそんなことにはお構いな しで、押したり引いたり夢中になっ て遊んでいた。
  イチノミヤ氏はモリのこの思いも かけぬ返礼に大満足で…今夜は実に 焼酎が旨い…と言っては飲んだ。そ の夜は本当に旨い酒盛りであった。
  その年の冬は、中東紛争が起きて いわゆるオイル・ショックを起した 年で厳しい寒波が押し寄せた。二十 数年毎に来るというこの大寒波は南 のこの島をも震え上がらせた。北西 の風は台風だといってよい程強く、 五十トンの定期船太腸丸は一週間通 わないことが度々あった。

 そ  んな年の暮、出産予定日が妻といくらも変らな いイチノミヤ氏の奥さんが早産した。 早朝、近所のオバさんがそのこと を我が家に知らせに来た。産着や何 やかやが必要だと言う。初産の奥さ んは実家でお産する予定だったから 用意は何もしていなかった。妻は三 度目であり、島でお産する覚悟をし ていたので必要なものは全て揃えて いた。私は妻に指示されてとりあえ ず必要なものを腕に抱え込み、一時 も早く届けるため近道である畦を抜 け、妻はどん腹を突き出して本通り を歩いてやって来た。

 全  く寒い朝であった。奥さんは生 れた赤児を幾枚ものタオルでくる み、布団の中で寄り添ってガタガタ と震えていた。経緯を聞いてみると、 夜中産気付き島のとり上げ婆さんで あるイクぱあちやんを呼んだとこ ろ、ぱあちやんは足が悪く、息子で ある旅館のオヤジが背負って来たが その時既に赤児はこの世に出てい た。
  しかし後産が出ず、ぱあちやん は焼酎で手を洗いその手を体内に入 れて出したそうだ。普段は腰が曲り 杖を頼りにいくらも歩けないばあち ゃんだが、赤児を抱えると腰は真っ 直ぐ伸び、歩き、一通りの処置を終 えたという。さて家に戻ろうとする と、ばあちやんは全く急に腰が曲り …杖…杖…と言い出したそうである。

  八ケ月で生れ落ちた女児は計れぱ 千三百八十グラムしかなく、手の平 に乗る超未熟児だ。船は来なけれぱ 出もしない。当時はヘリポートなど 無かった。
  妻は医学全書を開いて未 熟児の項を調べ・・・これだ、保温と湿 度!…妻の号令のもとイチノミヤ氏 と私は早速とりかかった。土間で火 を焚き大釜に湯をたぎらせる。焼き 物屋であるから薪はふんだんにある し火付けの名人だ。四畳半の産室を 毛布や敷布を釘で止めて覆い、その 中に湯のたぎった大釜を入れる。イ チノミヤ氏は伸ぴて垂れたガジュマ ルの枝を切り落し、それで即席のベ ッドを作る。小さな布団を詰めたダ ンボール箱をその中に入れ、そこに 赤児を寝かせた。布団の下には湯を 入れた一升ビンを何本も入れた。
  超未熟児とは思えない程激しく泣 く。あまり激しいので妻はベッドの 温度を計ってみると四十数度もあ る。私たちは慌てて一升ビンの数を 減らした。要するにやり過ぎたわけ だ。しかし千三百八十グラムしかな いくせに文句は人並みである。
  おしめを取替える妻が…ほうらウ ンチが出ましたよ・・・と言った時、 いかついイチノミヤ氏の顔に安堵と 感謝の念がチラリと見えた。

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イクばあちゃんと ヒノばあちゃん
(その2)