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(その1)
文・イラスト / 貴船庄二
私
がこの島に住み暮すようになっ
たのは二十六の歳であるからもう二
十三年経ったことになる。その間八
年程島を出ていたから、私たちはI
夕−ンでUターンであるからI・U
ターン家族ということになるのかな。
私
たちが借りた空家は小さな谷間
を少し登ったところにあって陽当り
は良いが、土間は表と裏に引き戸が
あるだけで薄暗かった。片隅にパイ
プを剥き出した簡易水道の蛇口がひ
とつあり、湿った土の上に錆びた鍋
釜が転がっていた。ガスやレンジが
あるはずもなく、とりあえず庭に転
がっている石を組んで周りを土で固
めかまどを作った。水は勢いよく出
るが流し台がないので、裏庭の境に
密生する竹を切り簀の子にしてその上で
食器を洗った。その隙間からボタボタ
落ちる水が足をビショビショ濡らすの
で、足元に飛沫除けのビニールを張っ
た。転がっているアルミ鋳物の飯炊き釜
を磨き、厚板が丸く切れないので横木を
一本渡して把手にした八角形の不細工な蓋を作
り、これで米を炊くことにした。
当 時電気はあったがまだ時間送電 という奴で、朝方と夕刻より夜十時 頃まで電気が通った。私たちは夜遅 く朝も当然遅い典型的街人間で、夜 ローソクを点し外に出れば満天の星 で、朝はお陽様がそれこそ天高く昇 るまで寝ている。若い人は人生まだ 先が長いのか昼まで寝ているが、島 民は大概朝早く年寄りなどは実に早 い。用あって訪ねて来る島民や家主 は業を煮やして雨戸をドンドン叩 き、年寄りなどからは…眼が腐らん かねえ…とからかわれ、流石に恥か しくなったのか妻はだんだん朝が早 くなり、しまいには未だ明けやらぬ うちに起き出し、十間の戸をいきな りサッと開けるのが趣味になった。 何故そんなことをするのか妻は・・・そ の頃外は物の気がいっぱいで騒がし いの・・・それを驚かしてやろうと思う となにかムフムフしてくるの…と言 う。フム、妻は島の朝が気に入った らしい。
土
間は日中でも薄暗く大きな窓を
作ることにした。窓の大きさを決め
てその部分をスッポリ切り取った。
いきなり明るくなった土間は外気と
一緒になり、交叉したガジュマルの
枝の中で火山が明るく鎮座してい
る。窓の縁は海辺から捨ってきた厚
板を打ち付け、切り取った板はその
窓の戸板に使った。厚い皮のベルト
が埃を被って転がっていたのでそれ
を蛛番の代わりに戸板と縁板に打ち
付け、跳ね上げ式の窓にした。その
窓辺にやはり海から捨ってきた板で
テーブルを作り付け、そこで食事を
することにした。戸外で食事をする
ようで大いに気持宣しい。
当
時島では四百人程の人日があ
り、商店は農協を含めて七軒あった。
妻はどん腹を突き出して二才前の長
男の手を引き、四才前の長女は先頭
を切り、私は後からゆっくり歩いて
買い物に出かける。妻は少々近眼で
五十メートルも離れた向うから来る
島民に有りたけの笑顔を向け、すれ
ちがうまで三度も五度もおじぎをし
た。 私 たちの他にもう一組わけありの 夫婦が少し離れて集落の外れに住ん でいた。私たちより一と月程前に島 へ来たという。享主は私より十才程 年長の陶芸家でイチノミヤと名乗っ た。イチノミヤ氏は…オレは焼き物 屋だ…という。私はかって焼き芋屋だ った。奥さんは私よりやや年長でや はり妻同様どん腹を突き出してい た。妻とその奥さんが並んで買い物 をしている光景は確かに壮観であ る。島民の想像力が刺激されるのも 無理からぬところで…恥かしげもの うて太か腹ぱ突き出して・・・と女子衆 の陰口に、イチノミヤ氏はそのどん 腹コンビに…腹の先っちょにリボン か花を飾れ…と言う。
こ
の焼き物屋イチノミヤ氏が私の
長男森の誕生目に、贈り物の手作り
三輪車・正確には四輪車だがを持っ
て我が家を訪ね、それをドカッと土
間に置いた。モリ君誕生目おめでと
う…モリは勿論のこと私たちもそれ
を見て目を見張った。それは焼き物
の燃料に使う松で全て作られてお
り、車輪は松の輪切りで、ハンドル
は松枝を便い、サドルは鉈で削られ
ていた。そレて焼き印で森と銘打っ
てあった。削られた薄黄包の木肌は
明るく輝き、松のよい匂いがした。
私
たちはギョッとした。全く以て
ギョッとした。更に小さな釘を数本
持って来てハンドルにも打ちつけた。
しぱらくそれを眺めたモリはふっと
息をつき、三輪車を押したり引いた
り遊び始めた。イチノミヤ氏の顔を
覗くと、引きつっていかついその顔
がふわっと緩み、次いでウワッハッ
ハ〜とそれこそ大きな哄笑を挙げ
た。私も笑った。妻もぬい子も笑っ
た。モリはそんなことにはお構いな
しで、押したり引いたり夢中になっ
て遊んでいた。 そ んな年の暮、出産予定日が妻といくらも変らな いイチノミヤ氏の奥さんが早産した。 早朝、近所のオバさんがそのこと を我が家に知らせに来た。産着や何 やかやが必要だと言う。初産の奥さ んは実家でお産する予定だったから 用意は何もしていなかった。妻は三 度目であり、島でお産する覚悟をし ていたので必要なものは全て揃えて いた。私は妻に指示されてとりあえ ず必要なものを腕に抱え込み、一時 も早く届けるため近道である畦を抜 け、妻はどん腹を突き出して本通り を歩いてやって来た。
全
く寒い朝であった。奥さんは生
れた赤児を幾枚ものタオルでくる
み、布団の中で寄り添ってガタガタ
と震えていた。経緯を聞いてみると、
夜中産気付き島のとり上げ婆さんで
あるイクぱあちやんを呼んだとこ
ろ、ぱあちやんは足が悪く、息子で
ある旅館のオヤジが背負って来たが
その時既に赤児はこの世に出てい
た。
八ケ月で生れ落ちた女児は計れぱ
千三百八十グラムしかなく、手の平
に乗る超未熟児だ。船は来なけれぱ
出もしない。当時はヘリポートなど
無かった。 |
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