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文・イラスト / 貴船庄二


 地 震・雷・火事・親父というが、火 山の噴火は、そこに住み暮らす人間に とっては実に恐いものである。
桜島などはしょっちゅう噴火してい て、観光客やらはたまたまそれに遭遇 してウーム成る程と、なかには素晴し いなんぞと思う人もいるだろうが、そ の下に暮らす人間にとっては、小爆発 ではあっても何時かはこんなものでは 済むまいという思いがあって、慣れる というようなものではない。

 先 年起きた阪神大震災は、都市部の 巨大地震とはこの様なものかと、大阪 に住み暮す父母兄弟には申し訳ないが、 この島に住んでよかったと今更ながら 思っている。
勿論この島も巨大地震に 見舞われないとは限らないし、噴石で 頭をかち割られるかも知れないが、高 速道路の陸橋が頭の上に落ちて来ると いう心配はない。地震も噴火も共に恐 ろしいものであるが、その違いは、噴 火はその恐いものが眼前にあるわけで、 いつもはおとなしい草食恐竜ブロント ザウルス火山が、或る日いきなり肉食 恐竜チラノザウルス火山に変貌するよ うなものである。変な譬えかな。
 口永良部島の火山新岳はここ十数年 噴火しておらず、噴石を飛ばす質の火 山で、今度噴火すれば溜りに溜った石 を村まで飛ばすのではないかと皆心配 している。
 島に住む私たちは朝起きるとまず岳 (火山)を眺め、フム、まあ今日はお となしいじゃろ、と無事平穏を願い、 立ち話をしていてもそこに岳があれば チラチラと見遣る。陽が西に傾くころ 岳は赤々と輝き、濃い緑のガジュマル はどくどくと血が通っているように見 え、火山島ゆえの美しさである。

 数 年前から、自衛隊や海上保安庁も 参加して大掛かりな防災訓練が年一度 行われるようになった。町長が災害対 策本部長となり、現地本部長は島の公 民館長が当たる。各集落は避難誘導員 を決め、上屋久町が作成した新岳爆発 のシナリオに沿って、半日、島民は配 布された赤いヘルメットを被りズック の非常持出し袋を背に、ぞろぞろと参 加するのだ。昼過ぎ、花火の音を新岳 爆発の合図とし、先ず各集落で指定さ れている一次避難待機場に集合、指示 があり次第消防団員や誘導員に従って 第二次避難場となっている本村桟橋入 口に集合するのである。
 私が住む前田集落は七戸あって、集 落の真中に三方がコンクリートの壁で 屋根はそれよりも厚いコンクリート製 の避難場が設置されている。この避難 場は島のあちこちに設置されていて、 野臭仕事や山仕事をしていても噴火す ればそこへ一時避難出来る。
 桟橋入口に集合した島民は、そこで 氏名を確認され、ヘリコプターで島外 脱出する者はへリポートへ、船で脱出 する者は桟橋へ向う。ヘリコプターで 避難する組は皆から「ワァー、いいな あ」と羨ましがられ、中にはヘリコプ ター組に入れてもらえるよう事前に根 回しする者もいたりして、こういう根 回しは楽しいもので、私が人選してい いのだったら、お姉ちやん先生などか ら、ネェ乗せて、とウインクでもされ たら、ウーム、じゃあこのオジは削る か、となる。小中学生たちは乗りたく ても乗せてもらえず、いつも沖に碇泊 する巡視船見学組となりブゥーブゥー いっている。
 一昨年、私もヘリコプター組に入れ てもらえて、十人程乗れる大型ヘリコ プターで島の周囲をぐるっと回った。 上空から見ると、いつもは下から見上 げている椎の大木はまるでキノコの傘 みたいに丸くポコポコと群生していて ああ、きれいな島だなあ、と改めて思 う。私は幾度も新岳に登っているが、 上空から見る火口は本当に丸く擂鉢状 で、幾つも旧噴火口跡が識別出来る。 当然周りは海で、テレビのひょっこり ひょうたん島宜しく、〜波をスイスイ かきわけて〜♪となる。
 自衛隊員や保安庁の職員は仕事であ りご苦労なことだが、若い人たちは避 難よりピクニック気分となり、年寄り たちはやはり噴火すれば避難しなけれ ばならないわけで至極真面目に付き合 い、再び桟橋に集合して、自衛隊指揮 官、災官対策本部長の講評の後、公民 館長の挨拶で終了となる。
 半日ではあるが、皆結構くたびれて ゾロゾロと我家に戻るのである。ご苦 労様、お疲れ様。

 何 か振動を感じたのだろう、私は横 手斜め上の岳に恨をやった。
 火口の真上にお椀を逆さにしたよう な真黒いものが被さり、ギョッとして 眼を割いていると、ズズーバリバリと 腹に応える振動を発し、ギリシャの神 殿の石柱のごとき円い太い黒柱がどん どん伸びてゆく。噴火だ!
 島に移り住んで二年目の春だったか、 昼前、岳が火を噴いた。
 妻は屋久島に出向いて居らず、私は 歩き始めた次女を膝に、桟橋から少し 離れた砂浜で腰を下し、長女のぬい子 と長男の森は、砂や寄せる穏やかな波 と戯れていた。山の新緑はもう暑い位 の陽差しの中でむせる様にほこり、海 もそれに比例して明るいセルリアン・ ブルーで、私は海を眺め、曲を見やり、 子供たちを見守る。岩肌を見せる岳は 温かく静かであった。
 そのような時、いきなり噴火した。
 子供たちも気付いた。打ち上げられ たロケットを見るように、子供たちの 頭は段々に上を向き、頭がそれ以上出 がらなくなるころ黒煙の先端が開き始 め、私たちを呑み込もうとするように 迫って来る。
 三歳になったばかりで頭のバカでか い森は「怪獣だ!怪獣が出た!」と 叫ぴ、こちらへ来ようとするのだが、 まるでスローモーション画像を見てい るようでちっとも近づいて来ない。
 ずっと向こうで遊んでいたぬい子は あっという間に森を追い越し、私が慌 てて忘れた次女のサンダルをひょいと 引っ掴むと、非常に真面目なさも忙し いという顔付きで私をチラリと見て、 次女を抱え思うように走れない私の側 もあっという間に走り過ぎ、砂浜への 入口である護岸の切れ間へ姿を消して しまった。全く逃げ足の速い奴だ。
 護岸の切れ間を通り、最も近い胃薬 原料を乾燥させる工場に逃げ込んだ。 工場に働く人たちは建物の陰から岳を 見やり、口早に何かよく分からぬ言葉 を発し、ぬい子もそこに居て、大勢の 人を見てホッとした私はやっと岳を観 察することが出来た。
 真黒いスクリーンの中で火口がくっ きりと見えた。大きな石というより岩 であろう、まるで火口に巨人が居てお 手玉をしているみたいに、その岩がボ ンボンと跳ね上がる。火口の上を縦横 無尽に稲妻が走り、ズズッーズズッー 耳が聞いているのか腹が聞いているの か、体全体が振動し、黒雲は既に島全 体を覆い、暗いのか明るいのか。
私は全く実感した。貧しい者も富める者も、 無知な者も賢い者も、病める者も健康 な者も、老若男女も問わず皆平等だ。
 この下にあっては全てが平等だ。
 噴火は急速に治まったが黒雲はます ます広がり、私たちの世界は完全に覆 われてしまった。もう大丈夫だろうと 子供たちを連れて我家に戻り着いた頃 パラパラと雨が降ってきた。それは雨 ではなく火山灰が草木に降る音であっ た。永いこと降り続き、ついには草木 の緑が灰色になってしまった。

 そ の後五年程経て、早朝、また噴火 した。確か秋だったと思う。
 私は目ざとい方で、やはり腹に応え る振動を覚え外へ飛び出した。空は白 みかけており、岳の辺りは既に真黒で あった。以前の噴火とは桁が違うよう で、私は慌てて転び、妻子を起した。


 雨戸を一枚開け様子を眺めながら、さ てどうしたものやら、私はバッタの如 くピョンピョン跳び跳ねた。私は肝を 冷すと腰から下の重力が無くなり跳ね まわるらしい。
 次女を膝に抱えてどっ かり腰を下ろした妻はそんな私を見て 「お父ちやん、そんなに跳ねないで、 ここに座ったら・・・・・」と自分の横を指 すのである。妻の何と肝ッ玉の座って いることか、またもや私は恥じ入り恐 れ入った。
 桁違いに思えた噴火は、後の調査で 分かったことだが、火口から噴火せず 近辺五百メートルにわたって裂け、そ こから噴煙を上げたせいであった。
 我家を訪れる人たちは、その噴火の 恐しさと妻の肝ッ玉を誉めそやす話を 必ず聞かされる。
 後日、真実を隠蔽し た自責の念に堪え切れず、妻は自白し た。肝ッ玉の座った妻は、真実は腰が 抜けて動けなかったのだ。
 その後一時 面目を失った妻は子供たちから軽くあ しらわれていたが、それも束の間で、 さらなる権勢を取り戻したことはいう までもない。しかし腰を抜かしたとは いえ、肝ッ玉が座っているように見せ る力量は大したものだ。

 前 号の恐い台風に続いて今号は恐い 噴火の話だが、何故、私たち島民がこ れら恐いものを持つということは恵ま れたことなのか、読者の皆さんはどう 思われるだろうか。
 人類が造り出した様々なモノに囲ま れ便利で安楽な暮らしを営む私たちは 飽くことなくさらに安易な暮らしを求 める。周りの全ての生きものと同等で あるという理念を失い、信仰を失った。 信仰とは恐れを知ることであり感謝す る心を持つことであり、単純なもので あって御大層なものではない。わたし たちを含めて宇宙は人知を越えた意志 を持ち、その波動を、安易な暮しに慣 れた私たちは感知しない。
 台風や噴火は私たちにはどうするこ とも出来ないものの一つであり、それ を前にして、私たちは所有することが 役に立たないことを或る日思い知らさ れる。犬や猫や牛やカラスと私たちは どう違うというのだろうか。手を使い 様々なモノを造り所有する私たちだが、 空を舞い、雨に濡れ、子を養い、何も 持たず為さず、カラスは生を全うする ではないか。何か為さざるを得ない私 たちであるのなら、生を宇宙を称える ことを為そう。

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島民大運動会