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台風
文・イラスト / 貴船庄二

 地  図を開くと、沖縄の島々から九州 へと続く島々はまるで台風の誘導帯の ように見える。台風はこの口永良部島 辺りまで勢力を保ちながらゆっくりと 北上し、急に速度を上げて日本列島を 掠めて行く。
 台風は接近しても中心が 東西何れを通るかで被害を愛ける地域 や程度が変わる。又地形によってはほ とんど被害を受けない処もある。一方 は猛烈な風に晒されているのに島の反 対側では魚釣りをしていたりもする。
 この島では必ず年に数個の台風が接近 するが、風速40メートル位までなら 雨戸を竹で縛りガタガタする壁板の釘 を補強すれば、後は焼酎でも飲んで通 過するのを待っていれば良い。しかし 島の漁師たちは、避難港の整備が未だ されておらず、台風の度に船を屋久島 の一湊港へ避難させなければならない。 残された漁師の妻たちはその度に金槌 と板を手にオロオロするのである。

 私  たち家族はこの島に15年程住ん でいるが、接近した台風は数多く、そ の中に二つの猛烈な台風があった。
 一つは3年前に接近した19号台風で、 戦後最大級と評され、最も接近した時 の中心気圧は940ミリバール(今 はへクトパスカルと言うらしい)で あったろうか。この台風は礎の廃屋を 再生した我家をそっくり15cm位ずらし、それに継げて建て た土間は傾き、片屋根のルーフィング 材は割がされてしまった。
 その当時、 何の縁でか高校受験に失敗したツッパ リ坊主を預かっていた。顔がやけに長 く私よりも図体の大きい坊主であった。 妻と娘は母屋の裏に建てた小屋に避難 しており、私と坊主は母屋に残り台風 に備えた。

 戦  後最大級と言われるだけあって凄 ましい風であった。板壁は釘が利いて いるので剥がされる心配は無かったが、 木目に沿ってピシッピシッと割れ、屋 根や板壁に飛んで来たものが突き刺さ るのが分かった。土間の四寸角柱は弓 のように撓り、桁に打ち付けた垂木の 釘が抜け、屋根全体がフワフワと浮き 出したのである。それを見たツッパリ 坊主は言った、オジちゃん逃げよう!
 流石に私も気色悪くなり、坊主を怒 鳴りつけた、アホッ!何処へ逃げる んじゃい、ツッパレー!土間に据え てある角材を束ねて作った2メートル 半程の大テーブルを柱にもたせて、 つっぱった。ローブや紐を有りたけ出 し垂木と桁に釘を打ち結び付けた。紐 が足らず、犬の鉄鎖も打ち付け、坊主 の皮ベルトも外ずさせて打ち付けた、 この頃がこの台風のピークであった。

 も  う一つの猛烈な台風は、私たちが 島に住んで5年程経った頃であるから 17、8年前になるだろうか、17号 台風である。この台風は予報官の口調 を借りれば「並の勢力で非常に強い」 となる。中心が島の西方60km辺りに来て三日三晩停滞し、八十 を過ぎた爺さん婆さんにこんな台風は 初めてじゃと言わしめたのである。
 私たちが住む斜め上にオジ、オバ、 中学生になる末娘、三人が住んでいて 私と大して年の違わない息子達は島を 出て働いていた。この台風が接近した 時オジは不在で、妻と我家の子供たち は、オジの家の方が大きく確りしてい るのもあってそこでこの台風を遣り過 ごすことにした。私はヘルメットを被 り金槌と釘袋を腰に、懐中電燈とトラ ンジスターラジオを横に、一人、我家 の守りをすることにした。日が暮れ風 も強くなり、夜に入る前にもう一度オ ジの家の戸繕いを見て置こうと訪ねた。 子供たちは他の家で寝泊りする楽しみ もあってオジの娘とはしゃいでいた。 もう一人、役場支所に務めるオバさん もこの家に避難していた。オバさんに 茶の接待を受け、さて我家の守りをす るかと暇を告げようとした頃、急に風 が強くなった。土間の高い処の壁板が あっという間にぶっ飛んだ。その修理 を済ますと、次は縁側の壁板がぶっ飛 び風がびゅうびゅう吹き込んでいる。 もう外は闇で風は増々募り電燈が消え た。一つ修理する度に別の板がふっ飛 んでいる。その度にオバさんは板を 持って来たり懐中電燈で手許を照らす のである。
 夜半更に風は勢いを増した。妙な台 風で、大風がドカーンと体当りして家 を左右に揺すったかと思うとスーっと 静かになる。数十秒変に静かでやがて ゴーッと風が押し寄せて来る。耳の鼓 膜がツーンと痛くなり、さあ来た! ドカーン、まるで巨人が大岩を家にぶ つけているがごとく凄ましい衝撃を受 ける。潜水艦の中で爆撃を受けている みたいだ。この台風は息をしている。 私とオバさんと妻はローソクの頼りな い明かりの中で互い顔を見合わせた。 子供たちは神妙にしている。この台風 は生命の危険を感じさせた。私たちは この家屋の中で最も柱の密な処に有り たけの蒲団を入れ子供たちを囲った。
その当時、避難出来る建物は公民館ぐ らいなもので、ましてや、もう外に出 ることなど無理だ。役場に務めるオバ さんは起きる気力も無いらしくずっと 隅で寝ている。私は大風が家にブチ当 る度に懐中電燈で家の隅々を調べた。
瓦は既に相当剥がされている様子だが この台風は雨をほとんど伴なわず濡れ る心配は無かった。

 こ  の家のオバさんはなかなか気丈夫 で、台風が押し寄せる度に、ヒィェー 来い来い、ヒィェーと奇声を発するの である。その度に娘も含めて四人で居 間の建具を確り掴む、というよりしが みつくのだ。そうしなければ家の中の 建具もふっ飛んでしまう。私たちがそ れぞれ乗っている畳もフゥーっと浮き 上がる。明け方3時過ぎ頃であったろ うか、母屋と土間の継ぎ目がバキッと 音を立ててへし析れた。この時がこの 台風のピークであったようだ。依然凄 まじい風は続いたが土間を倒す事は出 来なかった。
この家の便所は納屋に あって外へ出ることが出来ず、用足し は縁側の端にバケツを置いて済ませ、一 番端の雨戸を僅かに開け外に撤いた。
 夜が明けたらしくどことなく白み、 修理した跡が見え、修理した本人の私 でさえこんな処に板を張り付けたかな という具合であった。板間は茶箪笥を 斜めにして壁をつっぱっている。そこ らにある物手当り次第に使って風を防 いでいる。当時各家庭に電話は無く、 島の人たちは皆どうしているのだろう か。
 外からドンドンと雨戸を叩く音が する。端の雨戸を少し開き首を出すと、 上に住んでいる小学校の先生が居た。
先生の家は土間を倒され奥さんと子供 たちは狭いが確りした玄関に固まって 風を凌いだそうで、間もなく先生家族 はこの家に避難して来た。この家は総 勢12名になった。
 台風は、三日三晩、西方に居座り吹 き荒れた。土間の竈で米を炊き皆おに ぎりを頬張った。先生はなかなかの飲 兵衛でオバさん家の焼酎をチビチビ 飲っている。
又ドンドンと雨戸を叩く ので首を出すと下の爺さんが居た。煙 草を分けて具れと言う。煙草飲みはど うもしょうがない。吸いたくなれば瓦 が頭の上に飛んで来ようが這ってでも やって来る。
 斯く言う私もそうなのだ。 私の妻は大の煙草嫌いだ。私が煙草を 吸うと必ず妻の方へ煙が漂ってゆく。 慌てて席を変えるのだがやはり煙は妻 の方へゆく。
 爺さんの話によると、チンガラ、 ヤラレタそうである。それでも煙草を 手にさっさと帰ってしまった。

 三  日目の朝風が治まった。私は雨戸 を一枚開けて外に出た。
樹々の葉はほ とんど吹き飛ばされ裸木同然で、庭は 木の葉や枝で埋り、板壁には何やら いっぱいぷらぷらと引っ掛かり、納屋 のトタン板は数枚を残して何処へ行っ たのやら、全く雑然としているのだが、 見上げれば雲一つない青天であった。
斜め下の我家の屋根はまるでデッカイ 砲弾が貫通したかのようにポッカリ穴 が開き、一方の縁側の雨戸は影さえ見 えず、土間の屋根は無かった。
下の爺さんの家はまさしくチンガラヤラレて おり、土間は無く、母屋は一部の屋根 を残して骨組みばかりであった。
三日三晩、皆どう過ごしたのか、ゾロゾロ と地中から這い出たゾンビ宜しく虚ろ な眼をしてチンガラヤラレタ家から出 て来た。それぞれ顔を含わせば互いに 大きく溜息を吐いて、はよ〜生き ちょったかよ〜と、その日一日、皆欲 得も無い腑抜けた天使の様な顔でゾロ ゾロと彷徨い、各家の惨状を確かめ合 い、互いに死人も怪我人も無いのを感 謝し合い日が暮れたのである。
 さて次の日、まだ荒れている海を定 期船太陽丸は建築資材を満載して入港 した。皆我先きにと注文した資材に飛 び付き、それはウチのやっど、アタイ の垂木が無か、ウチのルーフィングは 来ちょらんけ誰か探して呉れやい、あ の腑抜けた天使の皆の顔は一日限りの 儚い夢であった。

 そ  の日も暮れ、辺り は暗くなりかけていた。私は我家の惨 状に落胆し、どこから手を付けてよい のやら、ひと先ずオバさんの納屋の一 間を借りて暮らそうと考えた。オバさ んは、よかど、と言う。聞いていた妻 は何かニヤニヤしながら私の肩をつつ いた。指差す方に眼をやれば、下の爺 さん婆さんがローソクの火を頼りに骨 組だけのスッポンポンの居間で食卓に 差し向かい、食事を摂っている。

我家は爺さんの家よりましである。いや我 家が爺さんの家より更にスッポンポン であれ何んのことは無い、そこに住み ながら修理してゆけばいい。私は恥じ 入り恐れ入った。

 台  風通過後二ヶ月間全く雨が降らな かった。私は爺さん婆さんたちの家修 理に明け暮れ、御蔭で教えられずとも 瓦の葺き方を大筋覚え、家屋の骨組も 理解出来た。これは今の私に大いに役 立っている。
 台風や火山の噴火、恐ろしいものを 持つ私たち島民は恵まれているね。
 たった一日だったけれど皆の顔は天 使だったね。

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げに恐ろしきは噴火かな