文・イラスト / 貴船庄二



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 昨  日ワーが死んだ。いや殺されたと言った方が正しいだろう。ワーは全体黒毛であるが鼻周りと四つ足が白毛で、白い鼻の下はチャップリンの髭宜しく黒毛で、秤りに乗せると6kgもある眼の丸い雄猫である。私の長女が北梅道の演劇塾に在塾していた時先輩から引き継ぎ飼っていたが、2年前卒塾するに当たりこの口永良部島まで連れ置き去ったのである。
 ワーは北梅道ではロクと呼ばれていたが、ロクロクと呼ぶと、私たちが飼っている黒犬クロが自分を呼んでいるのかと勘違いするので、ロクはワーと妙な鳴き方をするので、私たちはワーと呼ぶことにした。

 ワ  ーを引き取った頃は長女を除いて私と妻と長男次女の四人暮しで、犬のクロ・描のゴン・ギー・マガリ・ピトと共に、島で最も大きい集落本村の外れにある、白蟻に喰われて電柱で補強しなければペシャッとゆきそうな家を借りて住んでいた。
 私たちはこの島へ移り住む前は兵庫県の川西市に住んでいたが、犬と四匹の描はいずれもそちらで拾った。クロは誰か飼っていたのであろう首輪をしてだいぶ大きくなっており、転勤時期であったからきっと邪魔になって捨てられたのであろう。臆病で水が嫌いで猫を目の敵にしているが、内の猫共が他の猫と喧嘩をしていると助けに馳せ参じるC調な雌犬である。

 ゴンは少し母描に育てられたらしく体が確りしていて、狩りの上手な、山描になっても生きてゆける雌描で、もう十才を過ぎた婆さんである。たまに名を呼ばず婆さんと呼び掛けると、ブッと鼻の辺りを四角くして不機嫌になるのである。
 ギーは全身蛋にたかられて小指程の太さの首でカタカタ震えながら、お地蔵の前でギーギーと鳴いていた雌描で、連れ戻って風呂の湯で洗ってやると満面器の湯が蚤で真黒になってしまった。このギーは歯茎が弱って固い物を食べられず、最近とみに足腰も弱って内の描共の中で一番先に昇天しそうだが、しぶとく生きており先にワーが逝ってしまった。
 マガリとピトは雄の子猫と共に、三匹一緒にダンボール箱に入れられ捨てられていたが、雄の子描は近所の人に貰われこの姉妹猫が私たちの手許に残された。姉妹共に三毛でよく嘗め合うくせにしょっちゅう喧嘩をしている。マガリは根元四分の一を残してぶっちぎられ、金床でくの字に曲げられた様な尻尾から名を付けたのだが、何処かボルトが一本抜けているようで、猫生に又人に対して淡白な猫で、眼は大きくアーモンド型をしているが雌でも雌でもないような顔をしている。
 キャットフードしか喰わず年中皮膚病を起し、唯一マーガリンが好きでマガリも訛り、別名マーガリンとも呼ばれている。
 ピトは今はそうでもなくなったが、子猫の時はやたら人にピトピトペトペトする措で、私たちから軽蔑される時はベトベトと呼ばれる。形の良い長い尻尾を持ち美猫顔であるが性格は何処か陰湿で、その美猫顔に恨みがましい小皺を寄せる時、全く女という奴はと想わせる。
 こんな風に言うと、何を下らない、女は太陽であり月であり海であり、男の方が余程恨みがましく男々(めめ)しいではないか、と憤慨される女性もおられると思うが全くその通りで、これは私の歪んだ女性観であり、人でも猫でも魚でも雌は同じに見える私はこの様な固定観念が抜けずにいる。


 計  画しているユース・ホステルの基礎工事で、独立基礎のドラム告据え付けを完了してやれやれと我が家に戻ったところ、薄暗くなっているのに電灯を点さずどうしたのかと点してみると、土間の上がり框に腰を下していた女房の顔が歪み、ワーが死んだとワッと泣き出した。
一瞬私の脳裏に数人の島の男の顔が浮かんだ。殺られたと直覚した。
 膝にワーを抱いて泣く泣く女房が語るには、もがくもがき苦しんでついさっさ息を引きとった、何処にも外傷は無い、毒餌を食べたんだ、吐き出させようとしたがもう手後れだったと。猫は自然と体が弱って死が近づくと人知れぬ処で死に就く。こんなことを為た奴は誰だ!
  私は特に動物好きというわけではない。むしろ動物とあまり関係を持ちたくないと思う方だ。身の周りに居無くてもよいし、居たら居たで構わない。知らん振りしていればよい。
 このワーには私なりに責任がある。北海道からこの島に連れて来られたワーは新しい環境に戸惑い近くの小屋に隠れていたが、空腹と人恋しさもあって我が家に住み暮らすようになった。そして雌猫四匹の中で最も強いゴンと反目し追い廻すようになった。カープミラーにゴンの姿を認め、その位置に誤またず突進するという機知を持っている。
 ゴンは不意を衝かれるのを恐れよく家を空けるようになり、ニヶ月も山中をさまよっていることがあった。困ったものだと思っていると、近くに住む学校の先生がワーをえらく気に入り、来れば食べ物を与え話し掛けているうちにワーもえらく先生とその声が気に入り、先生の住んでいる教員住宅も気に入り、そこに住み付いてしまった。先生の宅で先生とワーに接待を受けながら、勿怪の幸いと私は喜んだのである。
 それからの二年間、先生に食べ物を貰いに来るキン太という、これもやはり顔と体格のでかい野良公としょっちゅう唸り声を挙げながらも、ワーは己が居場所を守り暮していた。しかし先生は退職して鹿児島に戻ることとなり、鹿児島でも雄猫を飼っておりワーを連れては戻れない。
 その頃私たちは白蟻で崩壊寸前の本村の借家を脱出して、歩いて十五分程離れた前川集落にある台風で半壊した廃屋を修理増築して住んでいた。先生が島を後にしたその日ワーを我が家に運んだ。
 二日程居ただろうか何か考え込んでいる。猫も考え込むのである。ははあ先生と家のことを考えているな、居無くなったと思ったらやはり先生の家の前に居た。又連れ戻るが又先生の家の前に居る。これを何度か繰り返した。先生の家は公民館の前に在り、当時私は公民館長を務めており、雨が降る日もあって公民館でワーに餌を与えた。朝公民館に出勤するとワーが何処からか出て来て私を迎える。私はワーに館長お早ようございますと挨拶する。事務室で事務を執っていると机の上に乗って来る。館長邪魔をしないで頂きたいと下す。館内を私が歩き週ると何処にでも付いて廻リ、トイレにも付いて未る。館長引っ掛からない様に注意して下さい。そうでないと館長さんを抱き上げる気もしませんからね。私が何か言うとワーと言う。
 私が公民館長を辞めた後、ワーの教員住宅を広島大学の学生が借りることとなり、又ワーの居場所が出来たなと喜んでいたがとうとう毒餌を喰ってしまった。キン太や数匹の雌野良公も既に姿を消していた。学生がワーの様子が変だと前田まで知らせに来て、女房が連れ戻り獣医に処置を仰いだが手後れであった。ワーは死んだ。
 この手を使う島人は口許に歪んだ薄い笑いを浮かべて御馳走すればよかとよと言う。ワーは御馳走されたのである。


 私  のように毒餌が原因だと断定し憤慨するのを、本当のところは分からないしねと心配して呉れる人もいる。確かに人にあらぬ疑いを懸けるのを恐れるのはよく分かる。優しい心根を待つ人は概して争うことを好まぬものである。自己の問題として解決しようとする。そして耐えようとする。しかし正しく優しい心根の人たちよ、戦う勇気を待たねばならぬ。自身を守るためではなく生きとし生けるものたちのためにだ。私は人に嫌疑を懸けようとしているのではない。事実島では猫を気嫌いし、野良猫が増えてかなわない、毒餌を仕耕けるのは当然だと思う人は多い。そして幾度も毒餌は仕掛けられている。猫は油断していると食卓を喰い散らし、天井裏に隠れ仔を産んだり、なかにはそこで死んだりするのもいる。夜中喧嘩をしては唸り声を挙げ寝かしても呉れない。糞っ、ふん掴まえて海に掘り込んでやる!むかっ腹が立つのは尤もだ。しかし、よし毒餌を仕掛けて退治してやろう! これは間違っている。聖者のように何があろうとニッコリ微笑んでおればよいとは言わない。腹を立てそこらの物を投げつけ悪態をついて追っ払えばよい。 しかし為て良いことと悪いことがある。毒餌を仕掛けることは為てはいけないことなのだ。皆生きているのだ。人聞だけが快適に暮そうと思うのは虫が良過ぎるというものだ。野良公が増えたらいったいどこまで増えるのか辛抱して見ておればいい。辛抱するのだ。猫が悪さをしていたら、ねえもう少し大人しくして貫えないかねえと、声を掛ける位の人間になって死にたいものだ。人は他の生物と違ってただ生き死ぬものではなく、あらゆるものに感謝して生き死に臨む義務があるのだ。


 今   私は戦うために生まれついたと思っている。槍を銃を持って戦うつもりはない。私の戦いは天使の側に立つ戦いだ。生きとし生けるものを害なう人間と戦うつもりだ。それじゃあお前は生きているものを殺し肉は喰わないのかと幼椎なことを言う人もいるかと思うが、私は勅し身など大好物である。獣肉も旨いし何んでも喰う。酒があれば言うこと無いね。人は生きものを殺しそれを喰うためには、それを為てもよい暮しの努力をしなければならない。魚を釣て喰うためには防腐剤入りの餌を買って釣るのではなく、自分でアマメ(舟虫)などを捕って餌の工夫をし、なるべく糸を切られないよう糸を太くし、必要な量だけ捕ることを心掛けなければならない。店に行けば牛肉、豚肉、羊肉、鶏肉何んでも売っている。二十も三十も罠を仕掛け、自ら仕掛けた処も忘れて掛かった鹿は腐れているではないか。そんな人間に鹿肉を喰う資格があると言うのか。生きとし生けるものを殺し己の糧とするためには、人としての儀礼を尽さねばならない。そしてそれを喜んで喰い、生きとし生けるものに感謝しなければならない。私たち人間は今、現代社会の中で萎えてしまった古い魂を再び甦らさなければならない。そのためには安易安楽な暮しを追求することを節制し、一歩後退する覚悟を持たねばならない。


 ワ   ーよ無念であったろう。いや無念などと思わずただただ苦しかったろう。お前は毒餌など喰わなければ陽を浴び雨を避け、どこかの魚を盗みバッタやトカゲを嬲り、何も為さずに生き、何処かでひっそり死んだであろうに。太陽はお前たち無辜なる生きとし生けるものを照らし、そしてお前たちのその魂から増々燃え盛る意思を受け取るのだ。


 今   日、ユース・ホステルの用地に植えたマンゴーの苗木の横にワーを理めた。その上に石を構いて、女房が摘んだ一輪の芙蓉の花を供えた。ワーよ大柄なお前にはこの大柄な花が良く似合うよ。死ぬと何処へ行くのか私は知らないが、私が死んだらワーお前を何処かで見掛けるだろうか。

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台風