口永良部島に
■  イカ餌木生産協同組合を造ろう!  ■


文・イラスト / 貴船庄二



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 口永良部島にイカ餌木生産協同組合を作るぞ!

とは言え、私は組合なんぞ好きなタイプでは ない。公民館長を退いた私は、月額9万円足らず の俸給であったが、無収入となり、何かたつ きを探さなくてはならない。コンクリート尽く しの公共事業の人夫など好まぬし、向こうでも 雇ってくれまい。
そこで思いついたのがこれで ある。うまくいけばこの島で数人は仕事にあり つける。この仕事の大半は手工である。
今、世界は経済というヒドラが、人を地域を 国を主従隷属の下におき、地球を食い物に自滅 の道を突進している。
人は飽くまで安易安逸を求める生物である。 安易な手活が送れるのであれば、我が子を奇形 の下に曝そうが、他国の人や子が飢え死のうが 防毒マスク付き紫外線遮断服を着て出歩こうが 大したことではない。最新防毒工アコン完備の 我が家に帰れば、手足を伸ばして楽々とくつろ げるのである。己が人格を精神を抹殺するだけ でよいのだ。そしてなるたけ土から離れればよ い。土の重力はあまりにも重い。ペルトコンぺ アの上から皆に呼び掛けよう。もっと豊かな暮らし を!自然を守れ!
書き出しから脱線してしまった。

 イ  カ餌木とは何ぞやと言われる方が多いと思 うが、主にミズイカ(アオリイカ)、ゴプシメ (コウイカ)を捕るための、木で魚に似せた道 具である。大きさは9cm〜21cm位で、五段 階ほどある。夏八月頃から小さいイカが捕れ出 し、春5月頃には最も大きなもの(4〜5kg) が捕れる。

そこでまず本体に使う木だが、浮力が強いこ とと、削った表面がよく光を反射することから 材質の軟らかいものが良い。そしてよく乾燥し ていなければならない。島で自生する餌木に 適した木は、アマギ・クサギ・ダラ・シマクロ・ バカギiセンダンなどがある。私はよく海辺へ 乾燥し切った流木を捨いに行く。長い間海を漂い 岸へ打ち上げられ、日に晒され、雨に曝され 虫が喰い、その中に貝殻が入り込んでいる。 これら打ち上がった流木の中から、非常に軽い ものを探し出し、餌木に使えそうなものを持ち 帰る。この寄木は囲炉裏で焼くと、緑、赤、橙、 青とそれぞれ美しい炎を出す。夜暖をとりなが らその炎を眺め、無為の一時を過ごすのは楽し いものだ。

 制  作手順だが原木を作る長さに切り、太け れば割る。次に不要な部分を鉈でなるたけ削り 取るが、その際木目が上部にくるよう注意する。 あとはよく切れるナイフで丁寧に削るわけだが 正面から見て左右が対称になるよう削らないと 沈む時回転しやすい。本体を削り終えると各部 を取り付けるための穴や溝を彫る。この段階 で本体に炭火で焼きを人れる。脊はこんがりと 強く、脇腹は淡く、腹は焼く必要はない。濃く 焼いたのは闇夜に強く、薄く焼いたものは月 夜に強い。そしてその焼いた本体を、稲藁を束 ねたもので水の中でごしごし磨く。後は各部を 取り付けて完成というわけである。

 さ  てこれを釣り具屋、土産物屋、口永良部島 ユース・ホステルで売ろうという目論みである。 売れに売れて、イカ餌木御殿を建てて、女房に どうだと大きな顔をしたいものだが、一日木を 削っていると肩は凝り、指は痛くてバンソウコ ウを貼り、目は霞み、御殿建つ前に指はナスビ になって、歯は抜け落ち、分厚い老眼鏡を掛け ていることだろう。
ところで、最近島へ移住し て来たイシグロ、コミヤマの二氏は、この仕事 を覚えたいと言う。又島の学校の事務官ダイ ちゃん、発電所勤務の青年ノイチも作って見よ うと言う。そこで有望なる正・準組合員四氏の 作を図で見て頂こう、但しこの四氏には、私が 削ったマリリン・モンロー型を見本として渡し、 忠実に再現するよう指導したものである。

 確  かに恰好なんかどうだっていい。要するに 削って焼いて錘りと鉤を着けて海に抛り込んで やれば、イカにも物好きがいるから飛び付いて くる。しかしだ、これを売ろうというのだ。も ちろん、確かに人間にも物好きほいる。しかし だ、これらの商品を持って釣具屋に行き、どう ぞ売って下さいと私はよう言わん。ところがこ の四氏、それぞれ審美眼には自信があるらしく いっかな譲ろうとしない。前途多難な組合である。
四氏よりもまだましなものが作れると、自信の ある方はこの島に住んで戴きたい。まだ数名 この仕事に従事しても、製品を売り捌く余地 はある。

イカ餌木は消耗品である。海底に引っ 掛けたり、糸が切れたり、大きな魚やイカに取 られたりもする。手で削り焼いたものは売り出 されていない。手慣れれば一と月に15〜18 cm位の餌木なら50丁位充分作れる。肩は凝っ て指は痛いがその内慣れてくる。島では物価は 街より割高だが、余計なものを買わなくて済む。 木を削っていれば人格を損なわずに済む。合間に は野菜でも作ればよいし、海へ魚や貝を捕りに 行けばよい。又読書をするのもいいだろう。

 私  は26の歳に女房子供を連れてこの島に 移り住んだ。近所に70を過さたアラキダイキ チという、ヘミングウェイの「老人と海」の主 人公みたいなオジがパァちやんと二人で住んで いた。オジはもう亡くなったが、パァちやんは まだ健在である。
オジは腰は曲がっていたが、 昔の筋骨をまだ留めており、顔中房々した白ひ げを蓄え、眼は灰色で何か日本人離れした、西 洋的なというのではなく、万国に共通する精神 的な顔をしていた。このオジが秋11月頃から 夕暮れの一時、桟橋の先に座り竿を出している。 魚釣りでもしているのだろうと思っていた。あ る夕刻私は桟橋へ下りていったところ、オジは 腰を曲げて、元から曲がっているのだが、竿も 折れよとばかり曲がり、今にも海へ引き込まれ そうな恰好でいる。随分大きな魚が掛かったな と思って見にいった。
竿が一定方向にグッグッ と曲がり、魚にしては妙な引き方だなと見てい ると、やっと糸を手に取ったオジは用心深く手 繰り寄せ、獲物が水面に現れて来た。何かやけ に白っぽく、水を噴き出している。大きなイカ である。腹の水を噴き出しては逃走しようとす るが、オジはその度に糸を繰り出し、また用心 深く手繰り寄せる。
イカも力尽きたか、長い触 手をだらりとさせて力弱く水を吐き出している。 オジは指先に力を入れてソロリソロリと引き上 げ出した。海面から3m程引き上げるのだが、 オジの指に糸が食い込んでいる。大きい上に腹 に海水を入れ込んでいるから重いはずだ。
上がった。イカは桟橋に転がった瞬間、水と一緒 に墨を吐き出した。シュッシュッ、グェッ、真 黒い墨が5〜6m飛び散った。オジは入れ歯だ ろうが、白い歯を見せてホッホッと笑った。
私は、イカを釣るのをこの時初めて見た。私もイ カを釣るぞ!イカの刺し身を喰うぞ!イカ の寿司も喰うのだ!

 翌  日オジを訪ねて道具を見せてくれと頼んだ。 オジはニッと笑って棚から木箱を下ろし、中を 見せてくれた。何か魚のようなエビのような、 あまり綺麗な感じではないが妙に気迫の籠もっ たものを見た。工芸品としては荒々しく、道具 としては随分工芸的である。
今にして思えば、 その餌木は正にダイキチオジそのものであった。 オジは制作過程については大して語らず、私も 別に聞く気はなかった。ただこれはクサギ、こ れはアマギ、月のクレーターのように尻にぽっ かり大きな穴が空いているのは、イカにかまれ た跡だという具合である。
そして急に真面目な 表情をして「キプネさん、イカは真白な魚や真 赤な魚が好きですよ」と言うなりニッと笑うの である。引き出しから何やら探し出していたが、 私に見せてくれたのはうす黒い小指大の歪な真 珠だ。話は餌木から外れでアラフラ海の住民に なっていた。
「キプネさん原住民からバナナを買ったらそ の場で金を払ってはいけませんよ。ドサッと置 いてさっさと行ってしまう。あんな重い房担い で行くわけにはいきませんよ」と忠告する。私 が木曜島まで出向いて行くことかあるかどうか 分からないが、その時はそうしよう。

 オ  ジは北はペーリング海から、南はアラフラ 海まで七つの海を股にかけた男で、またなかな か美食家であるようだ。
我が家は金はないが何 故かコーヒー豆だけはどっさりある。女房がパ ンを焼いたので豆を碾いて昼食にしようと思っ ていたところ、ひょっこリオジが出向いて来た。
「今日は奥さん、お邪魔ではありませんかな」
島でそんな挨拶をする人間は外にいない。
「よお、茶はあっとか」「何んかよかもんはなか け」といった具合である。オジの挨拶に女房は ぼっと額を赤らめている。オジは狎れ狎れしい のを好まない。我が家に出向いて来るのも稀で ある。島民は大抵オジを嫌っている。オジはパ ンを一口頬張り山羊のようにズーッとコーヒー を吸い飲む。
「奥さん、ウチのパアさんにパン の焼き方を教えて戴けませんかな」

 乾  燥している木なら手当たり次第削った。ガ ジユマル、アコウ、フヨウ、チョウセンアサガ オ、杉、屋久杉、イチョウ、カシ、松、名も分 からぬそこいらに転がっている木々。たまに行 く人夫仕事も放ったらかして削り、彫り、焼き、 鉤は釘を曲げてヤスリを掛けて作った。女房は そんな私を見て顔を顰める。女房に見付からな いよう物陰で木を削る。女房が来ると別の物陰 に身を潜め又削る。
それからというもの夕刻に なると必ず桟橋にオジと私が並んで竿を出して いる。私の餌木には全く抱き付かない。必ずオ ジの餌木に喰いつく。ずっとそれが続いた。
オジが竿を上げて餌木を調べる時、それをチラッ チラッと盗み見る。オジがイカを釣り上げて餌 木をイカから離す時、イカなぞ見ないで餌木ば かり見ている。何故こうも違うのだろうか。オ ジは闇になる前には竿を上げ、イカを手にサッ サと帰る。さあ、余計なオジも居なくなった、 必ずイカを釣るぞ。三時間粘ってもイカは来な い。腹を空かして手ぷらで帰っても、女房は当 然な顔をしている。私にイカなぞ釣れるわけが ないと思っている。たまにイカを手に下げて戻 ると、ダイキチさんは大漁だったのと聞く。そ の通りである。

 餌  木作りの精進のかいがあって、オジが居な ければイカが捕れるようになった。大きくはな いが最初のイカを釣り上げた時は体が震えた。
ある目削る木が無くて、流木なら乾燥している だろうと遅れ馳せながら思いついた。クロダガ セという、流木が沢山寄リ集まるゴロ石ばかり の浜がある。そこで太いくせにやけに軽いもの があった。持ち帰り鉈で割って見ると、白っぼ い灰色で木目はラワンのようである。非常にキ ラキラする。これはいける! と思った。削る とパルサ材のように軟らかい。入念に風呂の燠 で、こんがりと背を焼いた。この頃では餌木作 リはかなり手慣れていた。目玉が無いので女房 の真珠のネックレスから二個抜き取り、分から ないように繋いでおいた。沢山繋がっているの だから、二個ぐらい分からないだろうと思った のだがやはり分かるらしい、こっぴどく叱られた。

 さ  あ、今日はオジの目の前でイカを上げてや るぞ! 15分位竿を上げ下げしただろうか、 コツンと衝撃があった。来た! 慌てるな。二 呼吸程間を置いてグッと竿を上げた。グニャッ と根元から竿がしなった。岩を引っ掛けたよう である。一瞬後ゴーと竿が唸り、竿と糸が一本 になってしまった。小学生位なら海に落ちただ ろう。私は用心深い方である。糸は皆より太い ものを使う。20号の糸を付けているが、それ でも切れると思った。竿と糸が一本になる状態 が幾度も続いた。ダイキチオジの目の前で、イ カを釣り上げる夢が実現したのである。もの凄 い墨の量だ。桟橋が真黒になってしまった。私 は、手はプルプル、膝はガクガク、声は上ずり、 オジもイカは見飽きているだろうに感心しで眺 めている。
そうだ、もう一匹いる! 大きいイ カは必ず一匹連れ添っている。これは雌だ、雄 は絶対に逃げない。オジも私も慌てて竿をしゃ くり出した。20秒もしゃくっただろうか、わ けも分からぬうちに竿と糸が一本になっていた。 二匹目の雄も釣り上げた。イカは私の餌木を選 んだのである。オジは別に悔しそうな風もなく、 私の餌木をフムフムと眺めていた。そして例の 白い歯を見せてニッと笑い「私の餌木もそろそ ろ点検しなおさんといけませんな」と言って手 ぷらで帰っていった。

 オ  ジほその後あまり桟橋に顔を見せなくなっ た。2年程してからであろうか、鹿児島の病院 で食堂ガンのため亡くなった。骨が帰り、葬式 を済ませ、湾を見下ろす墓地にオジは葬られた。 島の風習で、その上に木で造った小さを館を据 えるのだか、バアちゃんから頼まれて、その扉に 墨で、船出するダイキチオジの姿を拙い筆で 描いた。

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明日への道