も
うこんな処で子供を育てるのは嫌!と妻は顔を歪
めて吐き出すように言った。
又何かあったらしい。
妻が語るに、行きつけの八百屋で白菜を買った、
一個が買えないので半分欲しいと言うとおぱさんは
あいよと半分に切って新聞紙でくるっと包み半額で
売って呉れた、---でも包んで呉れた半分は誰が見て
も小さい方だったよ---と。
私は妻が喋り出すと決って腹がゴロゴロと鳴り便
意を催す。妻の慨嘆を推察するといろいろ思い当る。
そ
の頃私たちは国立市のど真中に在る古くて安い
裏長屋に住んでいた。一橋大学のすぐ裏手にあって
周りは中流の下といった小市民が居を構え、本通り
から外れて閑静な一画であるが音大生が関心しない
音をよく響かせている。
家主は片手間に詩吟の教授
などしながらのんびり暮しているようで、老夫婦共
に一見温和で上品そうな風をしているが眼は小ずる
そうに光る。たまに顔を合わせるとニコニコと愛想
は良いが隣家の松が葉を落して困ると愚痴をこぼ
す。
この家主の庭先を抜けて通りに出ると、それと
平行している次の通りへ通じる舗装されていない道
がある。その半ばに玉砂利石を敷いた処があって長
女のぬい子がその石で遊んでいた。その前の門が開
いて初老の男性が姿を現わしぬい子にその石で遊ん
ではいけないと命じた。ちょうどぬい子の様子を見
に出た妻がそれを聞きつけ、子供が道の石で遊んで
何がいけないのですかと間うと、教員をしているら
しいその初老の男性はその石は私が敷いたものだと
答えたそうである。
ご
み捨て場で捨った乳母車を一歳になった長男と
歩き疲れた長女二人が乗れるように改造して、私た
ち一家はよく散歩に出掛ける。乳母車はカラカラと
軽い音を立て長男の森は良く眠っている。後から
走って来た乗用車が退けっとばかりに警笛を鳴らし
通り過ぎた。若い母親が運転をし、助手席には白い
制帽を被った幼稚園児がちょこんと腰掛けている。
妻は悪態を突いて足を蹴り上げたがもちろん届きは
しなかった。
暑
い夏の日、私たちは自家用二輪車で私が運転手
兼エンジンとなり市営プールへいそいそと出掛け
た。前に長女を、後に長男を背負った妻を乗せ、前
籠には荷物をいっぱい詰め込んで明らかに重量オー
バーでぎこぎこと軋り、埃っぽい暑い陽射しの中を
十五分程エンジンは過熱気味だ。やれやれ着いた。
やけに深としている。金網の門は閉じられプラス
チックの掲示板には本日光化学スモッグ注意報発令
中につき休業いたしますとある。長男を背負った妻
は金網を蹴ってやい聞けろ!光化学スモッグ出さ
ない人は泳がせろ!と悪態を突いた。
妻は一見可愛く見える女であるが事と場合によっ
ては非常に過激で柄が悪くなる。長女のぬい子は人
生とは暗いものだと納得した風な顔をしている。又
汗と埃にまみれて私たちは惨めな気持ちで長屋に
戻った。
私
が出掛けて留守の時子供たちは昼寝をし妻は台
所にしやがみ込んで新聞を読んでいた。何か気配が
するので開け放したドアに目をやると指が見える。
妻はギョッとして動けず目を剥いているとそろっと
髪が出て次に二つの眼が出てきた。二人の目が合っ
たとたん覗き男は脱兎のごとく逃走した。
妻はどんな叫び声を上げたのか
男を追いかけ通りに飛び出した。
姿は無く猶暫く其処で妻は目を光らせていると
生け垣の繁みから若い男がこっそりと出て来た。男
は妻に気付かず何に喰わぬ顔で歩き出し妻はそっと
後を付けた。その男は近所の家に入りその家にはや
はり着い奥さんが乳飲み児を抱えて暮らしている。
妻はこりや大変だ、ベルを押して奥さんを呼び出し
た。かくかくしかじかその男は貴女の家に入りまし
たよ。奥さんは当惑した顔でその人は内に間借りし
ている一橋大学の院生で非常に真面自な方ですよと
語ったそうである。
以来妻は真面目な大学院生は全て鬱屈した覗き男
と決め付けている。
或
る日私はパチンコプロに成ると妻に宣言した。
一週間の三日は軍艦マーチのリズムに身を合わせ手
指を使って金を稼ぎ、四日は絵を描き本を読もうと
いう計画である。
それを聞いた妻は戦慄した。
パチンコ屋の無いこの口永良部島は妻を安堵させ
たようである。
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