(その1)
文・イラスト / 貴船庄二
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妻 と一緒になった頃は冬であった。昔は手鍋下げ てと言うが妻はトースターと僅かな衣類を下げて やって来た。何故トースターであったのか本人も分 からないらしい。私たちは広い畑地の中にある兵舎 の様な古い木造家屋の一室を借りて住んだ。畑地の 端を私鉄が通い、大して響きはしないが夜の一時過 ぎまで定期的にガタガタと鳴った。兵舎は五部屋あ り格安の家賃であったが、あまりに淋しく陰気に思 えるのか大概一部屋は空いており、借りている絵学 生も何処へ行くのか大抵居なかった。部屋の窓から は栗の木や畑を望み山鳩がクックホ〜と優しく鳴い た。私は四畳半程の板張りのその室をペンキで真白 に塗り濃した。
珍
しく東京に膝まで埋もれる大雪が降った。朝、窓
から入る光は何時になく明るく、外を覗くと冬の関
東ローム層の黒土が白銀となり眩い光の中で裸木が
黒い縞模様を作っていた。私たちは笑い歓声を上げ
ながら外へ飛び出した。雪の中を転げ回り雪をぶつ
け合い駅前まで買い物に出掛けた。食料と一盛りの
林檎を買い又雪の中を二匹の仔犬がじやれ含うよう
に兵舎に戻った。笑い息を切らし部屋に入ると林檎
が無かった。又笑いながら私たちは外に飛び出した。
戯れ掻き回した雪の中に赤い林檎は一つ又一つ大き
な宝石のように顔を覗かせていた。何んと鮮やかで
あったろうか、私たちは大きく溜め息をついて又
笑った。 妻 は身籠り出産が近づいた。費用を工面しなけれ ばならない。一時通った大学の道筋に焼き芋屋が あった。リヤカーを改造した屋台が五、六台何時も 並んでいた。腰が曲がり眼のギョロッとしたいかつ い親爺に仕事をさせて呉れと申し込んだ。明日一日 ベテランに付いて廻り焼き方売り方を覚え次の日か ら一人で売れということである。屋台の賃し料は一 日五百円、芋は親爺から借りてその日の売り上げか ら支払う。小柄だが固肥りでちゃきちゃきの東京弁 を話す頼っぺたの赤い元気な御上さんが週刊誌で包 み袋を作っている。三十枚百円であったろうか。薪 は仕事帰りに工事現場などから木端を失敬してくる のである。
早
朝親爺を訪ねた。飯場に寝泊りしている数人は
もう仕事を始めていた。ベテランは六十過ぎの東北
訛のある男で抜けた前歯から漏れ出る言葉はほとん
どちんぷんかんぷんで、聞き質せば更に分からな
かった。
さ
て出発だ、東北男はウンショと足を踏張り重い
リヤカーはぎしりと動き出した。街角をゆっくりと
回り片手に持った真鍮の鐘をチリンチリンチリンと
鳴らし、石焼き芋〜、後を押す私は恥ずかしかった。
昨
日覚えた手順で何んとか最初の芋が焼き上がり、
私は指定された受け持ち地区へ出発した。
も
う少し売って来ると恩っていたらしく親爺は不
気嫌であった。翌日私が姿を現わしたことは意外で
あったようだ。御上さんはニコニコと愛想がよくや
はり元気であった。 全 く魂げた、建物から数十人ぞろぞろ出て来て私 の屋台をぐるっと取り巻いた。皆私をじっと見てい る。しかしどうもその視線は普通ではない。両眼が 左右に開いている人や真中に寄っている人や何処か ずれている。それぞれ差し出した掌にはお金が載っ ているのだが二十円や五十円で五円玉二個の人もいる。 どうやら障害のある人たちの施設に迷い込んだらしい、 出たくとも全く取り巻かれている。ともかく私は焼 いた、十円でも五十円でもどうでもよかった。皆辛 抱強く待っていた。やっと皆に焼き芋が行き渡って 解放された時正直ほっとしたよ。
売
り尽し、集まった金は僅かであったが嬉しかった。
まもなく私はベテランになり、長女の出産費用を貯
め、ついでにステレオの代金まで稼いで焼き芋屋を
止めた。
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