■■■  東京暮らしのこと ■■■

(その)

文・イラスト / 貴船庄二




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 妻  と一緒になった頃は冬であった。昔は手鍋下げ てと言うが妻はトースターと僅かな衣類を下げて やって来た。何故トースターであったのか本人も分 からないらしい。私たちは広い畑地の中にある兵舎 の様な古い木造家屋の一室を借りて住んだ。畑地の 端を私鉄が通い、大して響きはしないが夜の一時過 ぎまで定期的にガタガタと鳴った。兵舎は五部屋あ り格安の家賃であったが、あまりに淋しく陰気に思 えるのか大概一部屋は空いており、借りている絵学 生も何処へ行くのか大抵居なかった。部屋の窓から は栗の木や畑を望み山鳩がクックホ〜と優しく鳴い た。私は四畳半程の板張りのその室をペンキで真白 に塗り濃した。

 珍  しく東京に膝まで埋もれる大雪が降った。朝、窓 から入る光は何時になく明るく、外を覗くと冬の関 東ローム層の黒土が白銀となり眩い光の中で裸木が 黒い縞模様を作っていた。私たちは笑い歓声を上げ ながら外へ飛び出した。雪の中を転げ回り雪をぶつ け合い駅前まで買い物に出掛けた。食料と一盛りの 林檎を買い又雪の中を二匹の仔犬がじやれ含うよう に兵舎に戻った。笑い息を切らし部屋に入ると林檎 が無かった。又笑いながら私たちは外に飛び出した。 戯れ掻き回した雪の中に赤い林檎は一つ又一つ大き な宝石のように顔を覗かせていた。何んと鮮やかで あったろうか、私たちは大きく溜め息をついて又 笑った。
 何もせず何も要らなかったあの輝かしい日々よ。

 妻  は身籠り出産が近づいた。費用を工面しなけれ ばならない。一時通った大学の道筋に焼き芋屋が あった。リヤカーを改造した屋台が五、六台何時も 並んでいた。腰が曲がり眼のギョロッとしたいかつ い親爺に仕事をさせて呉れと申し込んだ。明日一日 ベテランに付いて廻り焼き方売り方を覚え次の日か ら一人で売れということである。屋台の賃し料は一 日五百円、芋は親爺から借りてその日の売り上げか ら支払う。小柄だが固肥りでちゃきちゃきの東京弁 を話す頼っぺたの赤い元気な御上さんが週刊誌で包 み袋を作っている。三十枚百円であったろうか。薪 は仕事帰りに工事現場などから木端を失敬してくる のである。

 早  朝親爺を訪ねた。飯場に寝泊りしている数人は もう仕事を始めていた。ベテランは六十過ぎの東北 訛のある男で抜けた前歯から漏れ出る言葉はほとん どちんぷんかんぷんで、聞き質せば更に分からな かった。
 男は先ずドラム缶を縦切りにした釜の掃除から始 め、次に煙突の煤を落し火を入れた。釜の中の小石 が熱くなるのに小一時間掛かる。その間に芋を洗い 薪を割り朝飯を掻き込むのである。芋洗いは真二つ に輪切りしたドラム缶に把手が溶接してあり、中に 20kgの芋と水を少し入れドラム缶を傾けて左右に 揺する。芋がぶつかり合って泥が落ちるわけだ。小 石が熱くなると一方に小石を寄せ集め一方に薄く敷 き、その上に洗った芋を少し離しながら配置し積み 上げた小石で芋を埋める。二十分程して被せてある 小石を除き芋を裏返し又小石を被せる。小一時間で 最初の芋が焼き上がった。手前に焼き上げた芋を入 れる処が鉄板で仕切ってあり、そこに入れて次の芋 を埋めるのである。

 さ  て出発だ、東北男はウンショと足を踏張り重い リヤカーはぎしりと動き出した。街角をゆっくりと 回り片手に持った真鍮の鐘をチリンチリンチリンと 鳴らし、石焼き芋〜、後を押す私は恥ずかしかった。
 ともかく金が要る。客は大概主婦で午前十時頃良く 売れた。ベテラン東北男は昼食にラーメンを奢って 呉れた。最も良く売れるのはやはり午後三時頃で、 土曜日曜祭日は良く売れる。焼き芋は順調に売れて 夕方六時頃売り切った。売れ行きの悪い日は夜十時 十二時まで粘ることがある。私たちは残った屑芋を 頬張りながら親爺の許へ戻った。

 昨  日覚えた手順で何んとか最初の芋が焼き上がり、 私は指定された受け持ち地区へ出発した。
 さて一人で売らねばならない。チリンチリンチリン、 鐘は威勢よく鳴るのだが声が出せない。 チリンチリンチリン、 えいっ、声を張り上げた。石焼芋〜、とんでもない 調子外れの声であった。
 きのうはどの家からも奥さんが 飛んで出て来るように思えたのにきょうはおかしい、 焼き芋なんぞ用は無いみたいに門は固く冷い。 駄目だ俺には芋なんぞ売れない。チリンチリンチリ ン。何時しか住宅地を抜けて林の中を引いていた。 ああ---全く売れない---。当然だろう人が全く居な いのに誰が買うとゆうのか。最初に焼き上げた芋は 皺だらけになり昼食替りにその芋を喰いながら我が 身を哀れんで私は泣いたよ。
 あらっ芋屋さん珍しい処で焼き芋を売ってるのね ---、通りかかった年配の奥さんが皺だらけの芋を三 百円も買って呉れた、ありがとうございます---。
 とっぶり日の暮れるまで屋台を引いたがさっぱり売れ ず、妻子に持ち帰る分を除いて道端の草むらに皺だ らけの芋を捨てながらべそ掻きながら親爺の許に 帰ったよ。

 も  う少し売って来ると恩っていたらしく親爺は不 気嫌であった。翌日私が姿を現わしたことは意外で あったようだ。御上さんはニコニコと愛想がよくや はり元気であった。
 さあ今日は売ってやるぞ!チリンチリンチリン、 どうもやはり私は淋しい処が好きらしい、又林 の中を引いている。何んで俺は焼き芋なんぞ売って いるんだろうチリンチリンチリン、俺は実に可哀相 な男だチリンチリンチリン、おっと何か大きな建物 が見える行ってみよう、人が居無ければ流行らない 商売だからな、チリンチリンチリン、石焼き芋〜。

 全  く魂げた、建物から数十人ぞろぞろ出て来て私 の屋台をぐるっと取り巻いた。皆私をじっと見てい る。しかしどうもその視線は普通ではない。両眼が 左右に開いている人や真中に寄っている人や何処か ずれている。それぞれ差し出した掌にはお金が載っ ているのだが二十円や五十円で五円玉二個の人もいる。 どうやら障害のある人たちの施設に迷い込んだらしい、 出たくとも全く取り巻かれている。ともかく私は焼 いた、十円でも五十円でもどうでもよかった。皆辛 抱強く待っていた。やっと皆に焼き芋が行き渡って 解放された時正直ほっとしたよ。

 売  り尽し、集まった金は僅かであったが嬉しかった。 まもなく私はベテランになり、長女の出産費用を貯 め、ついでにステレオの代金まで稼いで焼き芋屋を 止めた。
 次いで長男の出産費用を貯めるのはベテランに とっては造作無いことであった。

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(その)に続く