散歩

■98〜99年(宝塚へ移ってから)

カンは飯より散歩が好きだ。
世間には食い意地が張っている犬の方が多いらしいがうちの犬は何をやってもガッついて食べることはめったにない。 まずそうな顔をしていやいや食べている時はどついてやろかうと思う時もあるが、まあ一応食事の態度はジェントルワンだ。
まあ、食器の周りに餌が飛び散ってほったらかしの事はよくあるものの、そのぐらいは大目に見てやろう。

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毎朝の散歩は近所の一周か中山寺の境内が多いのだが、私が起きるのが遅い時は起こしに来る。 始めはクンクンいいながら顔をなめに来たりするのだがわざと無視していると鼻先を布団と私の体の間に突っ込み体をこじ開けるように起こそうとする。
新聞を持ってトイレに入っている間は扉の外でじっと寝そべって待っているし、 洗面所でごちゃごちゃしている時も足元のマットにしゃがんでこちらの様子をとぼけた表情でじっと見ている。 洗面所を一歩出るともう急に飛びついてワンワン言いながら散歩をせかす。
リードをつけてやるともう片方を引き摺らぬよう口に咥えて玄関まで飛んで降りる(玄関が半階下にある)。

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夜の散歩は私が夕食を済ませてからになることが多いので一般的なお散歩タイムよりかなり遅く9時前後になる事が多い。
もうお寺の境内には入れないので近所の一周か駅の方へ出てダイエーの近くとか辻ヶ池周辺など線路の南側一帯を回ったりしている。

我々が食卓に向かっている間はカンは専用アームチェアーでおとなしくしている。 そうそう、冬は食卓ではなくホームごたつで食べることも多くこの時はこたつの横かあるいはその中に潜ってじっとしており、 そんな時は人の足で蹴られても文句もいわないかわりに動こうともしない。
ところで、食事がほぼ終わりに近ずきお茶でも飲み始めると急にそばに寄って来て後ろ足で立ち上がり腕に前足を掛けクンクンと引っ張りながら催促をはじめる。
こちらが席を立とうものならもう喜んでワンワン言いながら飛びつきリードの置いてある棚の方へ走り出す。
カンがワンワン吼えるのは散歩の前とあとは不審な人物が家に近づいた時だけだ。
犬を連れた人が家の前を通ってもじっと見ているだけで吼えたりはしない。
餌を出したぐらいで喜んでワンワン言ったことも一度もない。せいぜいちょっと尻尾を振るぐらいのものだ。

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近所の散歩といってもこの辺はもともと中山連山から南へ伸びる尾根の山裾にあたり中山台、五月台、 桜台などの大規模な宅地開発地はもう昔からの山らしい面影はないものの、以外にこのあたりは手付かずの部分が飛び飛びに残っている。
我家の場所も元々はそんなところで、地山のままの急斜面に何本か切るには惜しい樹木が生えていた。 樹木の中で特に立派だったのが根元から幹が4〜5本にわかれた株立ちの楠木でその幹周は一抱え半、丈はおそらく17〜8mあっただろう。 二十歳を過ぎた息子にしてトトロの棲み家を連想させるような大樹であった。

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家を建てる時、私は一応建築の設計屋なものだから、この傾斜地に家を建てる大変さは技術・コストの両面でわかっていたつもりだったが、 なんとかこの樹を残したいという気持ちが強すぎて、ついコスト検討を後にまわしどうせやるなら積極的にと「大樹のある家」をモチーフにした。
それも環境破壊を最小限にするため傾斜地の地形は触らずに。
楠をガラス張りの中庭に取り組んだ案が出来、実は確認申請まで提出したのだが、やはり心配通り、 いやそれ以上に予算を大幅にオーバーしてしまい一から考え直さざるをえなくなってしまった。
中庭を造るとそれより後方山側がどうしても半地下のコンクリート造となってしまい、しかも山側に隣家のかなり大きい石積み擁壁が迫っているため コンクリート部分が普通より大げさになることと、その石積み擁壁の保護のため工事中、大規模な山留が必要なことがその原因で、結局、 地形はなるべく現況をかえないものの、中庭形式を止め楠の大樹はあきらめて伐採することになってしまった。
ここの地面は表土1m程はやわらかいがその下は岩が風化した地山でかなり固く楠の根も下に伸びず横に広がっており、 当初考えていた程度の中庭ではその根が納まりきらないことが判明したのもそれを決断した一因であった。

やり直した設計は斜面にそって3層のレベルがありその上にまだ1層が乗っかっており「4層の2階建」ともいえる変則住宅だ。
木の感触を多く残した家で、木製の階段を登ってやっと玄関だし、バルコニーも木製、主なサッシも木製なので「山小屋風」と評する人もいる。
ステイタスシンボルとして家を立派に見せたがる人も多いが貧乏人が無理して建てた家なのだから素朴で健康的かつシンプルであればそれで十分ではないだろうか。

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大樹は伐ってしまったが、もう一本あった小さい方の楠(といっても10m近いが)は枝を幾分切り落としはしたがちゃんと元気に育っている。
我家の傾斜した地形は同じ勾配でがお隣の敷地までつながっており、 そこには、柿、銀杏、もちの木などの高木が生えており借景としてありがたく利用させてもらっている。
朝の陽がもちの梢越しに差込み食卓の上に丸い木洩れ日がちらちらゆれるのは心地よいし、秋には柿の実の隣に銀杏の黄葉ともちには小さい赤い実がたくさんできる。 もうほとんど勝手に我家の庭の木のように思っている。
蚊・蛾・百足(むかで)・蟷螂(かまきり)・ミミズに丸虫、 なんでも居るがそうした生き物が多いからこそ小鳥もいい声でさえずってくれて居るのだ。

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家を出て北へ4〜50mも行くと小さな十字路がありその向こうの左側は一段下がって社宅になっているが右手はちょっとした森だ。
クヌギや松などに混じって名も知らぬ雑木がびっしり生えておりそれなりの準備なしにはおいそれと立ち入るのもはばかれるような処だ。 小鳥も多くまれに蛇や鼬(いたち)も見うける。里山と呼んでも良さそうなのだが山ではなく傾斜地だ。
ここに近くマンションが建つという。
狭い道なのに50台もの駐車場ができればすれ違いに困るとか工事中の騒音や危険を指摘した反対の声が多いが、 何より残念なのは優に数百本は下らない中高木が簡単に切り取られてしまうことだ。
一本の楠木を伐ったことに後ろめたい思いが未だ抜けきらないというのに。
犬が何の気兼ねもなしに大小便をしながら散歩できる道がやがて消えてゆこうとしている。

ぐるっと山側へ回り込むと先ほどの森の裏側へでて、その少し先は道の両側とも造成されただけの雑草地になっおり、このあたりは大変見晴らしが良い。
夜は特に大阪湾から神戸沖をつなぐイルミネーションでちょっとした百万ドルの夜景となる。 しかし、この夜景もそう遠くない将来、造成地に建物が建つまでの命だろう

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中山寺の朝の境内は真に人にとっても犬にとってもありがたい散歩道だ。寺の正面は仁王門のある南側だが東側に寺の職員や関係者専用の通用門がある。 本来はここを使ってはいけないかも知れないが、朝はあつかましく利用させてもらっている。
無断駐車で利用する人にはうるさいが、人や犬が通行する分には大目にみてくれているようだ。
通用門を入って赤い欄干の橋を渡り右手に行くと奥に広場がある。駐車場や工事用の資材置き場として利用されているところだが片や山、 片や川で周辺も自然のままたいして整備もされていないのが良く、落ち着いてうんこができる。

ちなみに私の場合うんこ用には小型のビニール袋の上にトイレットペーパーを数枚重ねて乗せ、 それを折りたたんだものをあらかじめこしらえておきカンが位置決めにかかった段階ですばやくそれを広げて空中捕獲してやるのだ。
捕獲した後はビニール袋の中へ手を入れて優しくうんこを掴みクルッと袋を裏返せば、手と地面の両方を汚すことなくすっぽりとうんこが袋に納まる仕掛けだ。
うんこ直前の犬の動作さえ覚えてしまえばほとんど誤ることはない。

この広場で身軽になってから山側の階段を登って行くと一番奥のお堂にでるがこの途中は一般参拝客はほとんど通らない道なので、 秋にはどんぐりの実や、イガに包まれたままの栗が落ちていたりという自然らしさがあってなかなか良い道だ。
あとは、日によって星の広場(周りに藤棚がある)にでてちょっと走ってみたり、梅園(斜面に紅白の梅が咲く)の中を通ったり、 まだ参拝客のほとんどいないお堂の間を抜けたりしてくるっとまわって帰ってくる。
お寺の中は空間がのびのびしていて気持ちが良い。奥の院は畜生(あまり好きな言葉じゃないが)の立ち入りはご法度だが、 ここ中山寺はフンの後始末だけしっかりしてくれれば犬の散歩もかまわないというのが基本的な方針のようなので非常に助かっている。

本堂の前では何を祈るわけでもないのだが、カンを座らせ手を合わせることにしている。

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