■目次
01: はじめに
年末に発表された"今年の漢字"は「災」。2004年は台風と豪雨、中越地震、スマトラ沖の地震とツナミが世間を騒がせた年でした。
この秋に良き伴侶だった愛犬の体調が悪化、看病をしてやる間もないほどあっという間に永久の別れに。朝晩の散歩にも出かけなくなり、気持ちが落ち込んだことと、寒い季節へ向いつつあることが重なったのか、以前から気になりつつも放っておいた「尿問題」がだんだん切実になってきた。
思い切って泌尿器科を受診したところ、前立腺腫瘍マーカー(PSA)の異状高値が判明。
いくつかの検査の結果、これは悪性腫瘍(前立腺がん)でしかも手術が難しいほど進んでいるとか。
素直に信じられず、すがる思いで受けたセカンドオピニオンではさらに厳しい見方を突きつけられる。
ネット情報に活路を求めるもなかなか方針が決まらず、気持ちの動揺が体のあちこちに現れ始め、重い「災」を背負いこんだまま年を越すはめとなる。
02: 泌尿器科受診
歳のせいとは思いたくないが、数年前から構えてから発射までに時間がかかり、尿の勢いもいまいち、
終盤は尿線が途切れ途切れとなり、なんども"首"を振りながら搾り出すしまつ。
頻度も徐々に増えてきて寒い季節は特に頻繁に尿意を感じる。切迫感に襲われてチビリそうになることもあり、
某日などはせっかく並んでいたATMの行列が間近になったのに我慢できなくなり、抜け出して再度列の後ろに並び直した。
こういう場面を人に見られて恥ずかしい思いをすることはまずないのだが、困るのはブラインドランナーを相手に伴走する時だ。
頻尿ぐらいはそれなりに居直ってしまえばすむ話しだが、相手がタイムを縮めたいと入れ込んでいる時に「ちょっとオシッコ」は
いくらなんでもいただけない。
前立腺肥大だろうと思いつつ、なんとなく気恥ずかしさもあってこれまで放っておいたのだが。
2004年10月下旬、思い切ってA病院泌尿器科を尋ねる。
問診表に記入、ついで排尿に関連した自己採点表(I-PSS:国際前立腺症状スコア、ならびにQOLスコア)を作成。
直腸診ということで肛門から指を入れられて触診、これはもうなれたもの、痔核切除の折に何度も経験済みだ。
入れ方がちと強引だったので「痛い」というと、「前立腺に炎症があるからでしょう」と言われる。
引き続き超音波検査。前立腺の寸法・重量を聞いたが数値は忘れてしまった。他に特別気にするほどの所見は聞かなかった。
「初期から中期にかけての前立腺肥大ならびに前立腺炎と思われます。悪性腫瘍だと触診でもざらざらした感じがするんですが、そうじゃなかったのでまず大丈夫ですが、念のため血液検査もさせてもらいます。ただし、
腫瘍マーカーは炎症があると誤認することもあるのでまずは薬で炎症を抑えてからにしましょう」
「痛い」と言ったのがすぐに前立腺炎と結びついてしまったようだが?そういう痛さじゃなかったのにと半信半疑で聞く。
セルニルトン(朝・晩)2錠
ハルナール (朝) 2錠
クラビット (朝・昼・晩)+ 胃薬 各1錠
17日分ともなると相当な量の薬だ、こんなにたくさんの薬を一度にもらったのは初めて。
03: 2回目の受診
病院の待ち時間は長いがその間トイレへ行かずに尿意を感じるまで待たされた。
尿意を告げるとプラスチックの小型便器の前に連れて行かれこれに向って排尿、流量検査だ。
測定機器と繋がっており勢いと時間のグラフが自動的に出てくる。
グラフを見て「勢いが無く時間がかかってます、やや途切れがちですね」と言われるが本人は先刻承知の上。
Dr.「薬を飲んで尿の出の具合は変りましたか?」
私 「特にはっきりした変化はありません」
私 「左下腹部ががまんできる程度ですが持続的に痛むのですが」
Dr.「便に異常がなければ大丈夫と思うのだが気になるなら内科へ行ってください」
私 「金属的耳鳴りがするようになって困っているんですが」
Dr.「それは耳鼻科ですね」
私 「薬を飲み始めた頃からややこしい症状が出てきたようなので副作用ではないでしょうか」
Dr.「クラビットはやめてみましょう」
腹痛が内科、耳鳴りが耳鼻科ぐらいはいちいち言われるまでもない。飲み薬との関連が気になって聞いてみたのだが、
病院という所は各科の縦割りが細かすぎるて困る。
PSAマーカー測定(前立腺がんの判定)のため血液採取を行う。
セルニルトン(朝・晩)2錠
ハルナール (朝) 2錠
さらにたくさんの薬(35日分)。次は12月14日、1月以上も先だ。
04: PSAマーカー値
1週間程して痛風らしいと言われていた右足首がさらに痛くなってきたので同病院の整形外科を受診した。
ついでに泌尿器科の検査結果もなんとなく気になるのでそちらへも寄って結果を尋ねてみた。
「今日はどうしました?」
「いえ、整形に寄ったついでに、ちょっと先日の検査結果が気になったもので」
医者はパソコンで検査結果を探し始め、しばらく画面を眺めている。
「PSA=147かぁ〜」・・・画面を見つめたまま・・・「う〜ん、悪性腫瘍の疑いがありますねぇ」
はぁ〜・・・? 悪性腫瘍って?
「正常値は4以内なんですがぁ」
あれれ、これってやばいかな?とは思ったものの、前立腺肥大について調べたとき、
「まれに前立腺がんの場合もあるが、早期ならそう心配には及ばない」などという記述を読んでいたので、
ひょっとしてがん!?! とは思ったけれど、自分でも案外冷静で、たぶん表情に表れるほどの変化は出なかったはず。
雰囲気から察するに、医者も検査結果を今日初めて知ったようだ。
がんに関する検査でも、次の診察日(まだ一月以上も先!)まで、検査結果を確認しないんだぁ。
「検査結果が早くわかっただけでも、今日来た甲斐がありましたワ」
遠慮がちにソフトジャブを放ってみたら、すぐにカウンターが返ってきた。
「結果はそう変わりませんがね」
・・・あれれ、ん? 結果は変らないって・・・どういう意味?
「腫瘍の有無を調べるために、”針生検”が必要です」ということで、急遽その説明が始まった。
PSAの値に関してもそれ以上の詳しい説明はなかったが、なんとなく慌しい雰囲気だし、まあ、インターネットでも判るだろう。
・中央検査室で血液検査、4本採取(術前ゆえ本数は多いとのこと)
・心電図検査は15〜20秒程、意外に時間が短かった。こんなんで大丈夫?
・胸部(正面、側面)及び腹部のX線撮影を終える。
・MRIは放射線部で申し込んだ結果12/6日と決まる。(まだだいぶ先だ)
・入院受付で検査入院の手続きを済ます。11/18〜20に決定。
次回入院同意書、検査同意書を持参されたしとのこと。
この日はこれとは別に整形でも血液検査と足のX線撮影をやった。
憂鬱な気分で、何度も血を採られ、何度もレントゲン室に出入りした一日でした。
05: 前立腺がん
病院ではさほど驚かなかったけれど、調べてみると、PSA値147というのは実はとんでもない数値だった!
普通ならPSA値で前立腺がんを疑い、針生検でその判定をするのだが、この値では針生検を待つまでもなく「黒」は100%確実、
しかもデータ的には初期がんでこの数値はまずありえない!おそらくかなりの進行がんだ!
急性前立腺炎で数値が上がることもあるらしいが、熱が出るほどの急性期ならいざ知らず、
今回は既に17日間薬を飲んでいる。
前立腺がんでは病期をステージA〜Dに区分している(注:TNM法等他の分類法もあります)
ステージA :偶発的に見つかるがん
ステージB1:前立腺片葉限定のがん
ステージB2:前立腺両葉に広がったがん
ステージC :前立腺皮膜を越えて浸潤が見られるがん
ステージD1:前立腺周辺のリンパ節等に転移しているがん
ステージD2:骨や肺などに遠隔転移しているがん
PSAの数値だけで予測するに少なくとも周辺への浸潤はあるだろう→これだとステージC
むしろすでに転移している(ステージD)と判断する方が自然かも知れない!
遠隔転移があるD2だともう治癒は望めず、薬でごまかしながら命を延ばすぐらいしか手のほどこしようがないらしい。
あれこれとインターネットを渡り歩きながらも時々左下腹部や左肩が痛むのが気にはなっていた。
「なぜこんなとこが痛むのだろう」とぼんやり考えていたのだが、ある一瞬、その痛みがふとがんの"転移"と結びついた。
なんと、"転移"と考えればすべて今の体調不良の説明がついてしまうではないか!
がぁ〜ん、後頭部からみぞおち・下腹部にかけて凍るような衝撃が走った。
左下腹部痛は浸潤!
左肩から上腕にかけての痛みは骨への転移!
数日前のジョギングの時に胸がぼぉ〜と熱かったのはなんだ?
夜、胸に重苦しい圧迫感があり不整脈と共に胸の灼熱感も覚えるが・・・これは肺?心臓?
耳鳴りの止まらないのは・・・まさか頭まで?
「どっちにしても、結果はそう変わりませんがね」・・・あの医者の言葉はもう手遅れという意味だったのか!
オレは末期患者なのか! 待て待て、まだはっきり決まったわけじゃない、あせるな、落ち着け!
得体の知れない電気信号が体中を駆け巡り体表面のあちこちで弾けるのが震えのように伝わってくる。
指先は完全にしびれている・・・こんなはずでは・・・オレはもっと冷静なはず!
頭でいくら冷静に考えようとしても、自律神経のコントロールが及ばないところで、
生物体としてのDNAが直接危機感を抱いて暴走を始めてしまった。
家内には自分がもう少し落ち着いてからこの話を切り出すつもりであったが、
それより先に病院からもらって帰った入院案内のパンフレットを見つけられてしまった。
言い繕うわけにもいかず病院の検査結果と自分でのPSAに関する調査結果を淡々と話す。
家内の顔がひきつり泣き出す。
やっぱり泣くんやぁと妙に感心する。
HPの掲示板では痛風を心配してくれる書き込みに対し、「しばらくは選手登録抹消かな?」と
書き込んでは見たものの、こいつはひょっとすると「人間登録抹消」かもしれない。
「今後も走れるかどうか」というような生易しい問題じゃないだけに、
ここまでくれば涙もでなくて焦点の定まらぬ眼を見開くばかり。
胸も焼けるようだし、指先に力が入らなくて細かい字が書けない。
転移が疑われる自覚症状も色々あったが、とてもそこまでは家内にも言えなかった。
06: 寝苦しい日々
仕事の方では現在ちょっとまとまった物件が動き始めている。
会社の確定申告もまとめねばならない。しなければならないことは多いのだが、
結局パソコンの前では前立腺がん情報を眺めてることが多く仕事ははかどらない。
昼はまだ仕事の雑務や電話もあったりするので気は紛れるが、つらいのは夜だ。
周りが静かになると耳鳴りが余計気になってくる。
セミが集団で遠くで鳴いてるような音のときはまだ良いのだが
やがてそれが金属音に変り悲鳴のように頭の中で鳴り響く。当然、目が冴えて眠れない。
眠れないとあれやこれやと良からぬ事を考え始めてなお目が冴える。
昼間指先に力が入らず、細かい字が書きにくいことが多いが、蒲団の中ではその指がよくピクピクと痙攣する。
指以外にもいろいろと痙攣する場所がある。二の腕であったり、大腿裏の筋繊維であったり、
日に寄って場所が移動する。
頭の底は冷静で、震えおののく自分をあざけり笑うのだが、どちらも自分なんだからこれはもうどうしようもない。
横になった直後には心臓の動悸(不整脈)がすごい。
布団の重さが苦しいほど胸にも圧迫感があってとうてい仰向きには寝て居られない。
肩、上腕、アバラにも肋間神経痛のような痛みもある。背骨の中心部にも刺すような痛みが走るが、これは何?
左腰(尻)骨の最下部(大腿の付け根、会陰部の左横)が時々痛むことがある。
鈍痛だがこんな場所が痛むのはとうていがんと無関係とは思えない。
尿意を催しトイレに立つ。完全に目が覚める・・・少し寝たかと思うとまたトイレに立つ。
こんな調子で空が白々と明け始め、小鳥の声、車や電車の走る音が聞こえてくる頃になって、
ようやくうつらうつらと眠りに落ちることが多い。
20数年前に親父をやはりがん(下咽頭がん)で亡くしている。
一旦手術はしたものの、やがて肺、そしてほぼ全身に転移し、
神経にも転移した為か手足が勝手にピク付き跳ね上がるのを、母一人では抑えきれず
母の助けを呼ぶ声に走りよって一緒に親父の手足を抑えつけた光景が頭を過る。
がんと聞いても冷静に対処できるという自信めいたものがあったつもりだが
不整脈、耳鳴りその他の諸症状が同時に襲い掛かってくることまでは予測しえず、
いかにこれまでの考えが甘かったかを思い知らされている。
鏡を見ると確かに眉間の縦皺が増え、頬もどうやらこけてきた。
死に逆らうより受け入れる心の準備をすべきなのだろうか・・・
07: 針生検
針生検(バイオプシー)の日を迎えた。ふとぼぉ〜としたりすることが増え、なんとなく自分でハンドルを握るのが怖い。
運転を息子に頼んで10時前に病院へ行き検査入院の手続きを終える。
14時頃から針生検。術衣の下は紙パンツ一枚で処置室へ移動。ガサゴソと擦れあいあまり気持ちの良いものでもない。
施術立会いは担当医と若い看護師の二人のみ。仙骨麻酔の注射の後、処置台に仰向けに固定され生検開始、
ぶざまな姿に思わず苦笑い。
スティック状の超音波検診機を直腸にさしこまれ、医者はモニターを見ながらふとん針かキリのような
もので会陰から前立腺のここと思う部分を突き刺すわけだ。ちょっと痛いかもとは聞いていたがたかが検査と舐めていた。
少々の注射は平気な方だが、これを突っ込むときの痛さといったら半端じゃない。
資料採取の時はバチンとバネがはじけるような音がするがこれがまた飛び上がるほど。
必死でうめき声を殺すが何度も声が漏れてしまう、額に油汗が大量に吹き出てくる。
「あまり痛くもなかった」という体験談をネット上で読んだことがあるがあれは何だったんだ!
「麻酔の効きが悪いかな?」と言いながら会陰部に局所麻酔を次々と計5〜6本も追加。
"悪いかな"どころじゃない、ちっとも効いとらんのじゃぁぁあ!!!
終盤近くになってやっと針の痛みが鈍痛程度で楽にがまんできるようになって来た、本来なら初めからこうだろう。
野戦病院じゃないんだから!
麻酔を打ってからの待機時間が短かすぎて効果の発現が遅れたのか、仙骨麻酔を打つ位置がまずかったのか。
この程度の簡易手術では専門の麻酔医は付いてくれないの?
当初の説明では6ヶ所採取と聞いていたが、直前説明で10ヶ所となり、実際には11ヶ所となったのもなんとなくすっきりしない。
生検のあと導尿カテーテルを粗チン?に挿入される。これも痛いし、ぞぞ〜っとする感じがなんとも気持ち悪い。
若い看護師さんがあぶら汗を拭いてくれカテーテルの管が動かぬようタマやボーもろとも皮膚にしっかり固定してくれた。
ちょっと照れくさい気もするがまあ悪い気分じゃない。
車椅子で病床に運ばれオムツを当てられ横になる。
点滴注射2本と尿袋に繋がる管をぶら下げたまま最低2時間はそのまま安静に、
血尿が出る場合もあるとか。やれやれ、たちまちにして寝たきりの重病人に変身だ。
食事はうまい、看護師もかわいい、でも命をあずける処じゃない!白い天井を見ながらそう思った。
前立腺がんの生検には経直腸式と経会陰式があります。
・経直腸式:直腸壁から針を刺す。痛みはあまりなし、麻酔不要、日帰り可。現在はこの方式が多い。
・経会陰式:会陰(外部)から針を刺す。痛み強、要麻酔。この方式は比較的少ない。
私はなぜか経会陰式。後日、他の泌尿器科医に上を読んでもらったところ、完全な麻酔ミスだそうです(怒!)
翌日、導尿カテーテルを外してもらってほっとする。血尿、濁尿はなし。
空き時間を利用して耳鼻科と循環器科を受診する。
耳鼻科では「耳鳴り」を訴える、聴力検査は異常なし。耳鳴りについては薬を出してもらうが
「効く人効かない人さまざまだゆえ、効かなければ薬を変えてみる」との事。
循環器科(不整脈)では胸の圧迫感、焦燥感とともにしばしば脈が飛ぶことを訴えるが、
ともかく検査をしてからということで検査日程は後ほど病棟へ連絡するという。
当初の予定では次の診察予定が12/14で全ての検査がその後からになっていた。
これでは検査だけで年が暮れてしまう。
主治医にはガンの転移検査もできるだけ早く調べて欲しいという意向を伝え、
検査日程を当初予定より繰り上げてもらった。
それでもがんと判ってからでも検査終了まで1ヶ月近くかかってしまうというわけだ。
翌日、息子の運転で野戦病院から脱出。
08: 転移検査とその結果
■CT検査(腹部+胸部) 11/29
■腹部MRI 12/06
撮影時間はネット20分ほどだが、予想以上の騒音に閉口した。
コンプレッサー状のドゥルルル、削岩機の様なガンガンガン、
鋲打のようなキョンキョンキョンがヘッドホンの音楽を突き破って響いてくる。
■骨シンチグラム 12/6
朝に放射性物質の注射、3時間待機後骨シンチ撮影
(右の画像は本人です)
■検査結果 12/8
検査結果が出そろったというので家内と共に結果を 聞きに行く。
・針生検
採取資料11ヶ所のうち10ヶ所よりガン細胞。
前立腺両葉のほぼ全体ががん化している。
・グリソンスコア=9(5+4)
低分化がんで悪性度が高い。
(注)勘違いしやすいのですが、高分化がんとは
この数値が小さい良性のがんのことです。
・CT、骨シンチグラム
いずれも明確な転移は見当たらない。
・MRI
画像のいくつかに赤いマーキング有り。
マーキングを指さしながら
「このあたりで浸潤が疑われます」
シャーカステンから目を離してさらに説明が続く。
「画像上の転移は見当たらなかったが、
PSAも極端に高くグリソンスコアも9と悪いので、
その辺を加味すると病期はステージCとDの
中間ぐらいだと思う。」
中間ってどの辺?
もひとつすっきりしない言い回しだ・・・
後注:諸検査の結果だけで判定するのが臨床上の病期。
ただ、実際には画像等に現れない微小転移がすでに存在している場合も多いわけです。
(PSAやGSの値が高いほどその確率が高い)
臨床的には転移の証拠がないのでステージCという判定にせざるを得ないが、病理学的に見ればすでに微小転移が散らばっているステージDの可能性が高い。主治医の本音をストレートに言うならば、とりあえずは「C」だけれど実は「D」の可能性が高いと言いたかったと思われるが、当時の私の知識ではこの辺のニュアンスが理解できなかった。
「手術は取り残す可能性が高いので難しいでしょう。内分泌療法か放射線治療、またはその併用が考えられるが、
放射線治療を望まれるなら本院にはその設備がないので他の病院を紹介させてもらう。」
たとえば、ということで近隣の「○○病院」「××病院」などの名前が上がった。
「○○病院」はともかく「××病院」はないだろうと思ったが、即答はさけ、
逆にセカンドオピニオンに協力してもらえるかどうかを訪ねた。
「ええ、かまいませんよ。ホルモン療法はどうされます?こちらでされますか」
もっと早い時期からホルモン療法を開始すべきではと思っていたぐらいだったからそれにはすんなり同意。
まずカソデックス錠(抗男性ホルモン剤)を2週間服用後、リュープリン(LH-RHアナログ)注射を開始することとなる。
(こうした方が薬の副作用が少なくてすむらしい)
この日まで、ステージDを覚悟し足が地につかないまま余生の過ごし方さえ模索していたというのに、
ともかく遠隔転移がなかったということで、一気に三途の川のほとりから現実世界に引き戻された。
治療の方針が立たない今、喜ぶわけにもいかないが、一筋の光がまだ消えずに残ってくれたのは確かだろう。
よし、こうなりゃしぶとくとことんやれるとこまでやってやろう!
09: 狭心症
晴れた日の午後、川の土手をジョギング中にふと胸の中心部に灼熱感を覚え立ち止まった。
以降しばしば不整脈、胸の圧迫感、灼熱感が気になリ始め、
徐々に症状が酷くなってきた、これはいったい何なんだろう?
12月になってA病院にて循環器の検査をしてもらう。
■負荷心筋シンチグラム
エルゴメータによる負荷試験(右腕に注射を差しRIの薬剤を送り込みながら)
■安静時の心筋シンチグラム
負荷心シンチの3時間経過後、
■心臓超音波(心エコー)検査、
■ホルター型心電計装着(取外しは翌日)
寝るときは心電計は腰から外し横に置くがトイレに立つたび心電計を持歩かねば
ならないのが不便。
12/10 検査結果が出揃う。
「心エコーでは特に異常はありません。
ホルター心電計では約95000拍のうちほぼ3%に相当する約2800拍の不整脈が見られるるが
特に心配を要するような不整脈ではありません。
心シンチ(RI負荷検査)ですが、運動負荷状態の写真で円環の一部が欠けてます。
血流不足によって生じるもので、わかりやすく言えば"狭心症"です」
さらに
「検査入院の上、冠動脈造影をしてみる必要がありますね、足の付け根からカテーテルを冠動脈まで挿入し
造影剤を流した上で撮影します。検査だけなら2泊3日の入院ですが、
その時の状態によっては引き続きバルーン等で血管狭窄部を広げることになるかも知れません」
これはほんとうに予想外であった。
ここしばらくは足の痛みや前立腺のこともあってほとんど運動もしていないが、
これでも一応15年以上走り続けてる長距離ランナーだぞぉ。
医者にも「マラソンをやってるんですが」と言ってはみたが
「それは特に関係は無いでしょう」と軽く往なされてしまった。
「これまでに特に痛みが出なかったとしても今後も出ないと言う保証はないので
発作にそなえて舌下錠(ニトロ系)を出しておきます。
できれば入院の日取りを入院受付で相談して帰ってください。」
いよいよ持ってややこしいことになってきた。
若い女医というのもなんとなく不安。(看護師は若い方が良いんですがね←恥)
狭心症に関してネットで調べたら狭心痛発作以外にも次のような症状があるとか。
・胸骨の後、前胸部の漠然とした圧迫感、絞扼感、灼熱感、左肩、左上腕内側、顎部に放散。
こう聞くとなるほどきつい痛みでなくともそんな感じがある。
仰向きに寝て動悸を感じるのも胸が押えられてるような感じがあるせいだろう。
横を向くとさほど気にならない。
がんの転移かもと心配していた胸の圧迫感や灼熱感ははたして狭心症の症状だったというのか?
入院と言われても前立腺がんの放射線治療をどこで受けるかという最重要課題が保留のままなのに、
先に心臓で入院なんぞできますかいな・・・
10: 寺社巡り
がん患者を自覚して以来、まだ行ったことのない寺院、長らく行ってない寺院をふと訪ねてみたくなった。
■京都大原の三千院、寂光院 11/23
久しぶりに家内と。やはり人出が多い。帰りにはステーキディナー。
■法隆寺 11/28
やはり京都と違って落ち着いている。帰りにはイタリアン、若い人が多かった。
この頃の家内はがんの人は痩せるという思い込みがあるようで、やたら食え食えと勧める。
■薬師寺 12/11
薬師寺再建の為、故高田後胤管主が始められたという般若心経の写経を勧められて
手本を持ち帰り、後日久しぶりに筆を握るがなかなか思うようには手が動かず。
苦労の末郵送した写経は金堂天井裏の書庫に永代保存していただけるとか。
唐招提寺にも立ち寄ったがこちらの金堂は復元工事中で他に見るべき処が少く残念。
■高台寺・清水寺 12/19
賀茂川でランニングイベントがあったが、これには参加せず一人で 高台寺、清水寺
を見て歩く。夕方からKさんの「シベリア横断走り旅報告会」だけは出席。知人から
「あれ?昼間はみかけなかったじゃない」と言われて返事に詰まる。
お茶にも誘われたが、目処の立たないがんの話を漏らすわけにもいかず、そのまま逃げる
ように帰宅。
■新薬師寺・室生寺 1/10
TVで新薬師寺の十二神将像の番組を見ていたら、家内からとつぜんこれを
見に行こう言われ車ででかける。干支ごとに十二神将が決まっている。
「子」の毘羯羅大将に賽銭を入れて手を合わせる。
新薬師寺のあと、ちょっと遠いが室生寺へも回ってみる。
女人高野の門前通過は2度ほどあったが境内に立入るのは初めて。
奥の院まで向う。有名な五重塔は予想以上に小さかった。
11: セカンドオピニオン
ネットで検索するもHPでセカンドオピニオンに触れている医療機関はそう多くなくて、
B病院がこの秋よりセカンドオピニオン外来を始めたという記事を見て、ここならばと飛びついた。
担当事務官から「セカンドオピニオンを訴訟資料に使われるわけじゃないですね」とわざわざ念を押されたのが意外だったが、
ともかく泌尿器科部長に話を聞いてもらえるということに。
セカンドオピニオンの資料をA病院に出向いて依頼、日を改めて受取りに行く。
診療情報書(紹介状)、病理プレパラート、MRI画像、CT画像、骨シンチ画像
B病院の泌尿器科部長に話をうかがう。(2004/12/17)
・まずは診療情報書の内容を見ながらその内容の意味を解説していただく。
「PSA=147 Greason score=4+5 ・・・ C or D1と判断・・・うんぬん」
PSA数値、グリソンスコアの意味、ステージの判定に関して解説を聞く。
・MRI画像を見ながらその説明を聞く(左葉が浸潤の恐れ)
・泌尿器科医が10人おれば手術を勧めるのは1〜2人だろう、
やはりホルモン療法と放射線療法の併用が良いのでは。
・5年生存率はステージB2なら普通8割ぐらいが見込めるが、PSAが異常に高いのと
グリソンスコアの悪性度が高いのでそれが逆転し2割ぐらいだろう。
「えっ、5年生存率が2割ですか!?!」
PSA値というのはがんの限局性を判断する上でかなり大きな意味を持ちますから。
「・・・・・」
・現在受けているホルモン療法でPSAが下がるはずだがなかには下がりきらないケースも
ある。普通3〜6ヶ月経過後が放射線療法に切り換えるタイミングとなる。
・本院では放射線治療の担当はY先生。放射線科ではシールドを使った内照射が得意。
「放射線の先生に話をお聞きできるでしょうか?」
直接話を聞いてもらうのは改めて診察で来院されてからのことになる。
・狭心症に関しては今は前立腺のほうが重大問題なのでとりあえず血液をさらさらにする
薬を飲みながら様子を見たほうが良いかもしれない。
ホルモン系の薬(カソデックス)は血液がどろっとしやすいので水分も多めに取ったほうが
良いだろう。
5年生存率・・・2割・・・・・2割ということは・・・・・たぶんあと数年で・・・・・・・死ぬ?
帰り道はどこをどう歩いたかほとんど覚えていない。
少しでも良い話を聞かせてもらえればここでお世話になっても・・・などという始めの甘い考えは粉々に吹き飛んでしまった。
確かこの病院のホームページには「ステージC」の治療実績として、
5年生存率6割という数字が上がっていた筈だが、PSAの異常高値がこれほどやっかいなことだったとは。
低分化がんというのも予想以上にいやらしいもののようだ。
A病院ではステージCと聞いて喜んだけど、盗み見た診療情報提供書・・・患者が読まないよう
封をするのが当たり前のようです・・・には「C or D1」と書かれていたが、
こちらの先生は厳しいほうに考えたということ?
それにしても普通はもっと言い難いはずのことをあまりにもズバリと言われてしまった・・・
がんで死別したオヤジは享年66歳。親父の年齢に届くどころか、下手すりゃ還暦もヤバイのか?
次に尋ねる病院のあてもなし・・・♪どうすりゃいいのヨ、このあたし〜〜〜♪
12: リュープリン
12/22 A病院泌尿器科の受診日
セカンドオピニオン資料を返却。
「どうでした」と聞かれたので、先のドクターから「結果報告は主治医に直接する」と聞いていた件を伝えてから、
5年生存率2割と言われたという話をする。
淡々と「それはまたはっきり言われましたねえ」
ん?私としては「それはないでしょう!」と言って欲しかったのだが・・・
早朝に<至急>扱いで受けたPSAの検査結果が出ていた。
PSA=85、2週間のカソデックス服用だけでも効果がでていた。
がんが悪性だとPSA値が落ちないケースもあると脅されていたのでとりあえずほっとするものの
「85」ではまだまだ異常高値の域をでない、今後の成り行きが不安。
・リュープリン皮下注射、臍の右斜め下45度、距離60mm。
・カソデックスの他に血栓予防薬(バファリン)も出してもらう。
リュープリンの注射跡が2〜3日の間やや赤くなって痛痒く、それが納まったと思ったら
こんどはしこり(硬結)ができてしまった。
あとで振り返ってみると、どうもこれまで縁のあった病院はH大系が多かったようだ。
A病院がそうだし、紹介できると言われた「○○病院」や「××病院」もその系統の医者が多い。
セカンドオピニオンを受けたB病院なんて、まさにその中核病院じゃない。
H大系以外のところに当たってみたほうが別の見解が得られるかもしれない。
そうだ、入院する気なら遠くだってかまわない! もっと範囲を広げてみよう!
局所浸潤のある前立腺がんでは、そう簡単に「神の手」はみつからない。
超音波による治療も行われ始めたが、初期がんに限定される。
小線源療法と言ってアイソトープの粒を前立腺に埋め込む方式も、厚労省から認可されたところだが、
やはり浸潤がんには不向きらしい。
「放射線治療」と「H大系以外」をキーポイントに、何度も情報収集を繰り返す。
パソコンの画面を夜遅くまで見続ける日が続くと、肩もこるし腰も痛い、目も充血したまま乾いていく・・・
しかし、やがてわかってきたことは、放射線治療は必ずしも次善の策ではないということ。
欧米では、前立腺がんの治療は、手術より放射線治療を選択する人が多いこと。
旧来の2次元照射は副作用で問題が出やすく、あまり評判が良くなかったが、
最近はピンポイント照射など、コンピューターをフル活用した高精度照射が可能になって来たということ。
精度が高くなれば副作用も少なくなるので、がん細胞に照射する放射線量を多くできる。
照射量が多くなるほど治癒率も上がるというデータがあるらしい。
ピンポイント照射の一種である強度変調放射線治療(IMRT)という方式は、
各方向からの照射強度を、まるで濃淡を付けて描くように、自由にコントロールし、より高精度な3次元照射を行えるとか。
アメリカではすでにかなり普及しているが、日本でそれを実施している医療機関はまだあまり多くはない。
重粒子線で前立腺がんを治したという体験記も見つかる。ただ、この人の症状は私よりもかなり軽い。
どの医療施設がどんな方式の照射方法を行っているのかを知りたいのだが、いくら探してもこうした詳しい資料は見つからない。
照射線量が多いほど治る確率が高くなるらしいが、その医療機関がどれだけの照射線量で治療しているのかはまったく情報がない。
焦りながら、数日間、手当たり次第にインターネットを泳ぎまくった結果、X腺照射の最右翼はやはり強度変調放射線治療(IMRT)、
放射線の物理的性質で優位に立つのが粒子線治療(陽子線・重粒子線)、
細部の情報はまだまだ不足しているが、この二つに的を絞っても大きな間違いはないだろう。
結局、命を預けるに足りそうな治療施設として、次の二つに狙いを定めた。
(1) 強度変調放射線治療(IMRT)・・・C病院
(2) 粒子線治療・・・兵庫県立粒子線医療センター
13: サードオピニオン
強度変調放射線治療(IMRT)を行っているC病院の前立腺がん専門外来「前立腺がん高度診断治療ユニット」では
前立腺がんの専門医のみならず放射線医からも直接話を聞けるという情報を発見!
おっ、これはありがたい!電話連絡を取ると
「それでは来年1月5日、11:00までにこちらへ来て呼び出しがあるまで待機していてください」
急いで再度資料の貸出しと診療情報書の提供をA病院に依頼する。
年が明けて05年1月5日、本来は「サードオピニオン」なれど、説明の煩雑さを避けるため「セカンドオピニオン」ということでC病院、前立腺がん専門外来へ。
診察室へ入るとまずはインターネットでもお名前を拝見していた泌尿器科のK先生が気さくに自己紹介をしてくださる。
あわてて一瞬仕事の名刺を出すべきかどうか考えたが、患者の立場でそれも不自然かと思い直し、こちらもやや恐縮しながら挨拶をする。
診療情報書を見ながらいくつか問診されたあと診察台でエコーと触診も。
その後放射線科のM先生も隣の部屋から出てこられ一緒に持参した画像を覗き込まれる。
K先生 「MRI画像からみてもステージCですね。根治率は50%程度と考えてください」
私 「えっ?根治率?・・・生存率じゃないのですか?」
K先生 「いや、根治率です。ちなみにステージBなら根治率90%の実績があります」
私 「そ、そうですか!」腰が抜けそうになったが、まだどこか半信半疑。
「PSAは3桁ですし、グリソンスコアも悪いようですが?」
K先生 「PSA値=147、GS=5+4は確かに悪いが予後には個人差がありPSA=30で再発する人も居れば
250で経過良好な方も居られます」
私 「ほほう・・・」
ああ、えらいこっちゃ、えらいこっちゃ・・・狂喜したいれど、まるで狐につままれたようで・・・頬の一つもつねってみたくなる。
放射線治療については隣の放射線診察室にて改めて詳しい話をお聞きすることとなるが、すでに脳みそは沸騰状態。
M先生 「強度変調放射線治療(IMRT)にて78グレーのX線照射を行います」
患者用説明パンフを見ながらIMRTの概要をお聞きする。
要するに、リニアック(治療機械)のアームを回転させ3次元多角照射により患部へ
放射線を集中させると共に、放射線の照射口に取り付けた細かい鉛板のシャッターを
コンピューター制御で自在に動かし照射範囲や強さを調節する方法で、標的を
ピンポイントで狙いやすいとの事。(ある程度の予習は済んでいた)
副作用(放射線有害反応)の説明もあったが、「血便」や「血尿」と聞かされても
気分は半分上の空、頭がしびれてそんなぐらいもうどうでもいいやという感じ。
(副作用というのは実は大変重要な問題なんですが)
私 「小線源療法についてはどう考えられますか?」
M先生 「ステージCには適しません、放射線の強度は光と同じく距離の自乗に反比例する
ので、線源から近いところは良いが遠い浸潤部はがんが死滅しにくいのです」
私 「粒子線はどうでしょう」
M先生 「粒子線の方が到達深度位置を調節できる分、ピンポイント照射には有利だが、
浸潤がある場合はやはり前立腺の周辺まではみ出して照射せざるを得ない。
粒子線でも陽子線だとがん殺傷力はX線とさほど変わらない。
重粒子線(炭素イオン)ならがんの殺傷力は強力だが現在全国で2ヶ所だけです。
理論上は優れているが治療実績で引けをとるとは思っていません。IMRTは現在健康
保険が適用されるが、陽子線なら保険適用外で約300万円が必要です」
後注:私が治療を終えてからしばらくして、IMRTは高度先進医療扱いとなりIMRTそのものには保健が利かなくなった。
しかしながら、2008年4月より再度保険適用となる見通し。
B病院では「5年生存率2割」と言われたのにこの違いはいったい何なんだろう!
ここで納得できなければあとは「兵庫県立粒子線医療センター」しかないと思っていたが、
後注:この時点ではまだ陽子線治療のみだが、2005年6月より粒子線センターでも炭素イオン線の一般治療が開始された。
根治率、有害反応発生率とも大差がないのなら、わざわざ高額の粒子線治療を選ぶ必要もないだろう。
始めは半信半疑で聞いていた根治率50%も、お二人の話しぶりからして、これはもう事実に違いない。
仕事の打合せに大阪へ出て行くことも京都からなら可能かもしれない・・・
そんな計算も頭を過ぎったが、それよりも、たとえ第一印象であっても、
医者と患者という立場を離れ、人対人としてどこか信頼しうる良い印象を持ちえたことが、すんなり
ここに決めさせていただいた最も大きい理由だったかも知れない。
「今後こちらでお世話になりたいと思います、どうぞよろしく」感謝しつつ頭を下げた。
たとえ結果として悪い目が出ようとそれはそれ・・・決めたのはこの私。
安堵で一遍に力が抜けてしまい、帰りの電車ではシートにドスンと寄りかかった。
14: 診察1回目(C病院)
C病院でお世話になることが決まって以来、少し気持ちが落ち着き始めた。
しかしまだ、不整脈(胸の圧迫感)と耳鳴りには相変わらず悩まされている。
1/19 2週間ぶりに泌尿器科K先生にお会いする。
数日前から時々後頭部の痺れが気になるのでリュープリンの副作用では?と訪ねてみたが、
そういう例は聞いたことがないとのこと。
採血をする、PSA検査と一般血液検査。(肝機能の数値に注意が必要らしい)
リュープリンを注射、カソデックス4週分の処方箋。(院外薬局)
A病院でもらっていた前立腺肥大関係の薬(セルニルトン・ハルナール)は特に必要ないらしい。
排尿に関する症状は前立腺がんが主因ゆえ、対症療法はあまり意味がないという考え方のようだ。
だとすると、A病院での数ヶ月の薬服用はあまり意味が無かったのかも。
続いて放射線科M先生の診察
私 「A病院耳鼻科にて頭部MRI検査の予定があるのですが、頭への転移の可能性に
ついてどう思われますか?」
M先生 「骨、肺を通り越して先に頭へ転移することは普通は考えられません。3年前よりIMRT
方式となってからこれまででステージC の患者さん70数名を診て来ましたが、亡くなった
のはまだ2名のみ、過剰な心配はいらないでしょう」
M先生 「3/30日に固定用の型取りを行い4/13日から放射線治療をスタートさせる予定です。
1日2グレイずつ39回で計78グレイを照射。土日は休みますがそれ以外は連日ほぼ
午前中に照射することになります」
ステージC の患者70名ほどと言うのは私のようにまだ治療が始まったばかりの人も含んでのことでしょうけど、
それにしてもまだ2名しか亡くなっておられないとは意外だった。ちょっと肩の力が抜けたような・・・
15: 心臓再検査
少し遠いが四国高松に走友のS先生がやっておられる心臓血管クリニックがある。
先に見ていただいたA病院の女医さんを信用しないわけではないが、ランナーの身体は
やはりランナーの先生のほうが良く理解していただけるに違いない。
1/29 A病院循環器科での検査資料を持参しS先生のクリニックを訪ねる。
・心エコー
・安静時心電図
・負荷心電図(トレッドミル)
を取ってもらう。
検査の結果S先生の見解は
・ストレスによる交感神経の亢進による不整脈および心血管の収斂と思われる。
・不整脈はA病院における検査時よりは全体にましになっている。
・安静時より軽いジョグ状態のほうが脈は安定している。
・普通に走る分には大丈夫でしょう。(ダッシュや追い込みはやめておいたほうが無難)
診察終了後、なぜか同じく走友のIさん、Nさんがクリニックに現れ、
S先生も含めて計4人でランニングをすることに。オイオイ、迎い酒じゃあるまいし、心臓患者を走らせますか?
画像フィルムなどの資料を入れたバッグを小脇にかかえ、途中、小休止がてら
"恐るべきさぬきうどん"2ヶ所へ寄り道、ゴールの焼鳥屋まで10数km、なんとかぼちぼちながらも走れました。
汗をふく間もなく出てきた生ビールに胸のつかえが一挙に降りたのは言うまでもありません。
すぐ入院しなさいとおっしゃる女医さんもおられれば、狭心症の患者を連れて走り回る先生もおられるんですから(笑)、
これっていったいどうなってんの?
こっちはもうただでさえ「がん」で頭が一杯なのに、女医さんのおっしゃる通り心臓で入院でもしてたものなら、
ほんとにパニクってしまいますよ。
医者はやはり患者の身体全体を診てくれないことにはね。
心臓も完全に大丈夫かどうかはわからないが、前立腺がん退治に集中するためにも、ともかく一旦忘れよう。
あとはもう一つのややこしい原因、耳鳴りを早くつぶしにかからないと。
16: 耳鳴り
昨秋よりA病院の耳鼻咽喉科にもう何度か通ってはいる。数種類の薬も飲んではみたが、
結果はほとんど変化がない。
高い金属音の発現頻度は一時よりは少なくなったもののまだかなり気になる時も多い。
左耳の深部もしくは頭の中央部で響くことが多いが、中央部というのは方向性がないだけに余計不気味だ。
夜、胸の中心部がボーっと熱く感じる時に、耳鳴りが聞こえると、まるで警鐘が鳴り響いているようでどうも気持ち悪くていけない。
そういう時は大抵同時に不整脈を感じている。痛みは特にない。
胸を包むようにして横になり、この世のものとは思えないほど無機的で冷たい笛の音がやがて通り過ぎるのをじっと堪えている。
確か師走も押し迫った頃だったように思う。
ミーーーと長く尾を引くセミのような鳴き声が時としてうねるようにトーンを上げ金属音に変化することはあれど、
同時に聞こえるのはあくまで1種類であったのだが、突如、別の音が混ざって2重に聞こえるようになった。
新たに加わった音を説明するなら、引っ掛かりながら回っている壊れかけた換気扇の音を長いダクトの向こうで耳をあてて聞いてるような感じ、
とでも言えば良いのだろうか。以来2種の音がせめぎ合って聞こえている。
聴力検査も毎回しているものの特に顕著な変化はなし。
医者も原因が良くわからないようで、こんどは聴神経を調べるため頭部のMRIを撮ってみようということとなる。
嫌な感じだが脳検診と思って割り切ることに。
2/4 頭部MRIの検査を受ける。
昨年末、腹部のMRI検査の時はヘッドホンで音楽を聞かされながらだったのが、
今度は耳栓をしてガントリーに頭を突っ込まされた。
ボボボボ、ドドドドとうるさいのには閉口した。
2/8 頭部MRIの検査結果を尋ねる日。
先生(耳鼻科も女医さん)がシャーカステンの画像を見ながら
・聴覚関連の器官は異常なし。
・他も脳には特に異常は見当たらない。
・一部に白い小さな星が見受けられるがこれは歳相応ゆえ心配はない。
白い星?ん?それもちょっと気にはなったが、「特に異常なし」を信用させていただく。
医者や放射線技師に知人がいて、読影力に関する笑えないような雑談も色々と聞かされているものだからついつい疑念が先にたってしまいます。
治療の方はどうされます?と聞かれて、(聞きたいのはこちらなのだが・・・)
どうにもらちがあきそうに無いので、あとは自分で様子を見ます、ということで耳鼻科受診はエイヤ!と強制終了。
ま、なんとかなるだろう!
17: 診察2回目(C病院)
2月になってから厳しい寒さが続いている。
1回目の診察以降、心臓、耳鳴りどちらも特に重症ではないらしいことが判明。
重苦しい殻を1枚ずつ破り捨て、気分的にはずいぶん楽になってきたはずなのに、
まだ気になる症状も多い。
・左下腹部痛がまだ時々。
臍周辺を押えると痛くて悪感、たまに軽い吐き気も。
・軟便状態(ゲリというほどではない)になりやすい。
思わずもれそうになることも。
・骨盤下部(座ってイスに接するあたり)が痛い。
・前立腺あたりがクーッと痛む時がたまにある。
・耳鳴り・・・聞こえない時もままあれど気になる時が多い。
・夜中に背中が痛む、腰が痛むのは以前からだけど。
・夜中にトイレに行く回数は平均1〜2回、これはさほど苦にならない。
・ホットフラッシュ・・・日に数回身体が熱くなり、デコに汗が吹き出る。
2/16 2回目の診察
泌尿器科 K先生
・PSA=17.6(先月1/16の結果) 順調に下がってきている。
・その他の血液検査のデータも異常なし。
・A病院における1回目のリュープリン注射跡の「しこり」(硬結)を触診。
K先生 「硬結は現在ちょっと問題点として浮上しつつある。"体質"という見方と"注射の仕方"
という見方がある。体脂肪層の中で解けるしくみゆえ、注射が浅すぎた可能性も
なきにしもあらず。ここではあまり例を見ない。
リュープリンと同様の薬がもう1種類(ゾラデックス)があるが「しこり」に関しては
そちらのほうが生じにくいような気がしている。」
A病院では注射は処置室にて看護師まかせだが、C病院では先生にその場で打ってもらえる。
・今回は臍の右横に注射。
・診察後、血液採取。
・プレパラート返却、見立てはA病院とほぼ同じ(グリソンスコア=9)とのこと。
3月、いつのまにか1回目のリュープリン注射(A病院にて)跡の「硬結」は消えてしまった。
それに代わって、前回(2/16:3回目)の注射跡がまた硬結してしまった。
2回目(臍の左側)はなんともなかったのに、右側だけが硬結する。
ホットフラッシュがだんだんひどくなってきたようだ。頻度も増えたが汗も突如吹き出てくる。
18: 診察3回目(C病院)
数日前近所でもかなり雪が舞ったのだが、C病院へ急ぐ途中、四条の橋からふと鴨川上流へ目をやると、北山、東山、さらにその奥に重なる比叡の山並みがまだ真っ白。
3/16 C病院受診
泌尿器科K先生
・PSA=4.2(2/16現在) その他の血液データも異常なし。
当初の147から思えばPSAも随分下がったものだ。
前回注射(リュープリン)の「硬結」が小さいながらも生じてしまったことを告げる。
Dr.「かなり長くやってますが初めての経験ですね、注射の仕方の問題だけじゃなさそう。
もし気になるなら薬を変えてみますが」
結果が出ているからこのままで結構です、と答える。
・リュープリンを臍の左下方(初回とほぼ同じ)に注射。
・カソデックスの処方箋
・血液採取(中央検査室にて)
放射線科 M先生
・今後の予定
3/30:位置決め(型取りと身体に目印の線を入れる)とCT撮影をしコンピュータによる
治療計画立案(シミュレーション)に入る。
4/6 :診察及び薄くなった身体の線を再記入
4/12:入院。(10時)
・地階放射線治療部門へ移動し看護師より簡単な案内説明を聞く。
・北病棟4階(放射線病棟)にて入院に関する説明を聞き入院時に必要な提出書類を渡される。
19: 放射線治療計画(シミュレーション)
早いものであちこちのさくら便りが聞かれる季節になってきた。
2週間前に四条大橋から見た山の雪はとっくに消えてしまったけれど、胸の底の青い氷はまだ解けきってはいない。
3/30 C病院放射線科、地階の放射線治療部門へ
問診のあと、大小便を済ませて待機するように言われる。
残尿量をほぼ一定にしておく必要があるとか。
・下面固定用具の作成
パンツ一丁でリニアックの台上に四つん這いになる。
パンツを下ろされ青い和紙に覆われた粘土板のような型材の上にうつむけに寝そべる。
軽くアゴを引いておでこで頭をささえる感じ。腕は頭の上に伸ばし軽く両手を組む。
体の下に敷いた半固形の型を二人がかりで両側から身体に押し付け下面の受枠を作成。
・上面固定用具の作成
おそらく湯に浸けて軟化させたであろう半透明のプラスチック樹脂を、両手で受けながら
腰まわりにそっと被せられる。ちょうど熱めの蒸しタオルを乗せられる感じ。
身体に密着させた上で今度は水滴をスプレーで噴霧しながらドライヤーで冷やして
固まらせる。
・位置決め
上下の枠をボルトで固定。
赤いレーザー光線の基準線が身体の中心を2等分するように走っている。
赤紫の塗料を筆に着けて身体にラインを引いていく。
背中、体側、腰、腿の裏、足首・・・細筆でなぞるのだがたまらなくこそばい個所もある。
う、う〜〜、思わず筋肉がピクリと痙攣。
ハイテク先端医療とは言うものの裏方ではかなりのローテク作業です。(笑)
ヤクザも一目置くような体の線!当面はシャバでは裸を見せられません。
・放射線治療計画(シミュレーション)用のCT撮影を行う。
時間的には排尿時よりほぼ1時間が経過、今後の照射も膀胱の蓄尿量はほぼこれに
等しい状態で行う必要があるので、常に1時間前に排尿を済ませておくようにとのこと。
4/6 放射線科M先生の診察
「IMRTの治療計画ができました」とのこと。
シミュレーション解析図とでもいうのでしょうか、
CT画像上に5方向からの照射軌跡を線量の強度分布に応じてカラー表示してある図を見ながら簡単な説明をお聞きしました。
いま一つのグラフは、こちらは専門的なのでということでチラリと見せてもらっただけですが、
各臓器ごとに照射される放射線量が正常細胞の許容放射線量を越えていないことを示すグラフで4〜5本の曲線が引かれた図であった。
(詳しく説明を聞きたい気もあったのだが簡単に説明できる内容ではなかったもよう)
イスから立ち上がったときに「がんばって行きましょう!」と目線を合わせて言っていただきいた。
診察後、シミュレーション室に移動し薄くなった身体の線を放射線技師になぞってもらう。
鴨川の堤防で7分咲きの桜を眺めてふと思った、そうだ、今日は桜を見ながら河原をゆっくり歩いて帰ろう!
20: 入院 2005/4/12
4/12 8時前に家を出て、雨の中一人駅へ向う。荷物が重い。
四条河原町からはタクシーを拾ってC病院へ。
北4階の病棟詰所に名前を告げて部屋に案内してもらう。
424号室。ベッド番号は4床室の4番目で4244。シニヨシ? う〜ん・・・語呂合わせは止めておこう。
看護師から病棟の施設説明のあと、これまでの経過の問診があり。
明日からの治療に先立ち、血液検査、X線撮影、心電図検査を受ける。
病棟ではケータイ使用禁止と聞いているので、モバイルパソコンはやぶへびになってもいけないのでだまって持ち込んだ。
4/13 目覚めると窓の外は東山に比叡山、正面がちょうど大文字で山裾には寺の塔もちらほら。
昨日は雨で煙ってよく見えなかったがなかなかの景色だ。
病棟の担当医が挨拶にみえる。放射線科の若い先生、研修医かも?
治療に先立ち泌尿器科K先生の診察あり。
5本目のリュープリンを打ってもらって、ホルモン療法はこれで最後になるという話をお聞きする。
21: 放射線治療開始
地階放射線治療の待合で待機、呼ばれてS字型の通路を中に入る。着替えコーナーでパンツ1枚に。
患者取り違い防止の為フルネームを告げてからリニアックの台上に登る。
四つんばいになったところで放射線技師のお姉さんにやさしくパンツをさげていただく。
そのあとは二人掛かりで、失礼しますと言いながらも横になった身体を微妙に小突かれ、
定位置になった所で例のプラスチックを腰部に当てられ金具で固定。
乗った台がウィーンと上昇し前方へ移動、グルグルグルという音でリニアックが回転し、
照射アームの位置が決まったらこんどはシャカシャカという音がして照射口とシャッター形状が固定されます。
その後まもなくビーっという音と共に数十秒間(20秒強と思われる)放射線が照射されます。
途中位置がずれたら自動的に照射が中断されるようです。
この手順を角度を変えながら5回繰り返して一度で計5方向からの照射を行うわけです。
別に痛くも痒くもありません。
放射線治療の初日ということで、治療前に位置確認の撮影(同じリニアックで写真が撮れます)もあったので少し時間がかかりました。
放射線治療は毎日これの繰り返し。
治療のほぼ1時間前に大小便を済ませておく必要がありますから、朝食の後はうっかりはできません。
このためわざわざ卓上時計を買ったぐらいですから。
20分前には病室を出て、長い廊下を歩き1階の放射線受付を経由し、
地下の放射線治療の待合で待機、治療を終え再び病棟に戻ってくるのにほぼ小1時間を要します。
治療室へ入ってる時間は12〜3分でしょうが、ほぼ週に一度、位置決めの写真を撮ったり、
身体に線を記入したりしますので、20分前後かかる時もあります。
治療中の放射線有害反応としては
「治療開始1週間前後で温泉での湯当りのようなだるさが出ることがある」
と聞いていましたが、鈍感なのかほとんど何も感じずじまい。
直腸や膀胱への放射線の影響から頻尿、頻便が生じやすく、一定の率で血尿、血便もありうるとも聞いていますが、
今のところは無事。先に悪いケースばかりを考えてもしかたがないので、とりあえずは気にしないことにしています。
昔、低エネルギー照射だった頃は身体の表層とか患部以外の部分に強い放射線があたってしまい皮膚のただれ等も多かったそうですが、
近頃のリニアック(高エネルギー照射)ではこうはなりません。
治療が始まって10日余り経ったころ、JR福知山線脱線のニュースが飛び込んできました。
焦って息子に電話。乗った電車が一時間早かったので大丈夫だったとか、ホッ。
日が経つにつれ、
心臓の動悸や不整脈を意識することも少なくなり、一時胸の圧迫感でどうしても上を向いて眠れなかったこともあったのですが、
それもほとんどなくなって来ました。
ホットフラッシュのほうはいよいよ激しく、額の汗が枕を伝うが、これはまあやむをえません。
回数は減ったものの遠くでセミが鳴くような耳鳴りだけはまだ残っています。
22: 放射線治療中盤
治療回数がほぼ半分を過ぎた頃から、放射線の影響で排尿の勢いがなく、
放尿時はしとしとと垂れるような感じになっていますが、
これは一時的症状としてほとんどの人が経験するのでむしろ当たり前だとか。
今後血便、血尿が出るケースもあるとのことですが、さて私の場合は・・・?
男性ホルモンを押える薬物療法(注射と飲み薬)をほぼ5ヶ月間続けてきましたがこれはすでに終了。
ステージCの患者に対しては放射線治療終了後もなおしばらくはホルモン療法を続ける医療機関もありますが、
ここの考え方は、薬物の連続投与は遅かれ早かれ耐性が生じてきますので、そうならないうちにあっさり矛を納めて、
いざというときに備えるという考えのようです。
ちょっと尋ねて見ましたが、現時点ではその良し悪しを比較したデータはないそうです。
現在の男性ホルモン欠乏状態(要するに一時的宦官状態)から今後は徐々に普通の男に戻っていくわけです。
オトコもオンナも所詮同じ人間ですから、実はどっちだってさほど気にはならないんですが、
顔もすべすべの卵肌になってきたし、腰から下腹にかけてなんとなくふっくらし、
UNDER-HAIRなんぞは悲しいほど薄くなってきました。
突如身体が熱くなって汗が噴出すホットフラッシュにも戸惑いましたが、
こうしたホルモンバランスの異常が原因の症状は徐々に薄れていくでしょう。
薬の副作用で肝臓など血液検査の数値が悪化する人も居られるのですが、私の場合は毎回健康優良児(爺?)
PSA(腫瘍マーカー)も順調に下がってきました。
放射線治療開始時のPSAは1.6だったのですが、最新の(その1月後)PSA値は0.89。やっと1を切りました。
初期値が147ですから、ちょっと感無量。
すごいイビキの親父さんがお隣でしたもので始めはどうなることかと心配しましたが
住めば都とは良く言ったもので、寝込み端の極端な時間帯はあっさり起きたまま読書、
人並みの鼾に安定してからこちらも横になるという風に、それなりに慣れてきました。
地下の売店では入院生活に必要な大抵の日用品がそろいます。
私の買ったのはスリッパ、置時計、歯ブラシ、シャンプー、ズボンのベルト、4色ボールペン、お茶っ葉、
ペットボトル、豆乳パック、紙コップ、湯飲茶碗、
アイスクリーム、のど飴、スプーン、爪きり等など。
23: 放射線治療終盤
フルマラソンは30kmを越えてからが勝負処と言いますが、放射線治療も丁度このあたりにさしかかってきました。
夜の小用回数がかなり増えてきました。4〜5回ぐらいかな?
一番端の部屋だからトイレも遠くて往復で60m近く歩くから目も覚めてしまいます。
小一時間ぐらい起きてて30〜40分ほどうつらうつらしたらまたトイレに立って・・・
入院してるから良いようなものの、通院治療をされてる人ならたとえ寝不足であろうとも無理にも早朝から起き出さねばならないわけで、
ぐうたらな私にはとてもまねができそうにありません。
放射線による前立腺炎類似症状の為こうなるのですが、
泌尿器科の先生は頻尿が辛くなれば薬を出してもらったらよろしい、
と言ってくれてはいるのですが、放射線科の若い病棟医はまだもうちょい様子を見ましょうですって。
耐えるのはいいけど、絶えることに意味があるのかな?
ところで、患者同士で話をしていてわかったんですが、同じ病気でも人によって治療日数、
照射時間に若干のバラつきがあるようです。私は日数も時間も長いほうですけどね。
(注) 症状によりIMRTの人と3DCRT(3次元原体照射)の人がいるということが後になって判りました。
残りの照射回数が10回を切ってから、右のGold-Ballから右側のソケイ部にかけて痛みが出てきました。
市内散歩ということで昼食のあとぐるっと歩いて二条城から御所方面を廻った日があったのですが、
途中から右足付け根あたりが気になって、ややぎこちない歩き・・・その後、やや痛みが増して
せきやくしゃみでも響くようになり、病棟医に話をしたところ、おそらくは一過性の炎症、
数日で治ることもよくあるので、しばらく様子を見てみようとのことでした。
何かあるとすぐに放射線障害あるいは転移と結び付けて考えてしまうのですが、それはないだろうと否定。
なるほど、数日したら痛みは納まってきました。
これまでに延べ10数人が次々とお見舞いに来てくれました。
走友が多いのと、こちらも元気なものですから、いっしょに散歩や山歩きに出かけることも多いのですが、
この時期はちょうど仕事の追い込み時期とも重なってそうもいかず、大変でした。
主な図面は片腕である共同経営者に頼んであるのですがそれでも仕事の関係でよく病院を抜け出しました。
一応外出許可証ってのを書く必要があるのですが、基本的には特に行動制限も無しと言われているので
書類さえちゃんと提出すればそれでOK、
リュック背負っての山歩きも、スーツとネクタイで大阪に出かける時も、行先はいつも"市内"です。
"京都市内"とは書いてないからまんざらうそでもないでしょう。(笑)
24: 退院 2005/6/11
6/10 放射線治療の最終日。
お馴染みの放射線技師さんに無理を言って、デジカメで治療中の記念写真を撮ってもらう。
最後の放射線照射が終了し笑顔で見送っていただいた。
昔、ラジオ体操のときにハンコを押していただいたカードがありましたが、これと良く似た放射線治療カードというものがあって、
放射線技師が照射のたびに日付を記入してくれていたのですが、これも39回満願記念の写真を撮らせてもらいました。
この日も仕事の打ち合わせが入っていたので退院は翌日に延ばし、治療終了の感慨にふけるまもなく病院を抜け出し
仕事場へ。仕事のあとは一人で退院前祝い、ごぶさただった飲み屋の暖簾もくぐって、ほろ酔い気分で一旦帰宅。
翌日改めて家内を連れて車で荷物を引き取りに病院へ。
最後と思うと多少別れが惜しくもなるのですが、相部屋の人、馴染みの看護師さんにお礼を言って、
2ヶ月間住み慣れた病院を後にしました。
25: 放射線治療を終えて
放射線治療が終わって一安心。
しかしこれからまた長い「経過観察」期間がはじまります。これも広い意味では治療の一部と言えるのかもしれません。
とりあえず次回の通院は退院から1月後、その後まだしばらく月いちペースが続くかもしれませんが、
安定しだすと3月に1回、半年に1回とだんだん頻度が少なくなっていくようです。
前立腺がんの治療にはこれまでにもいくつかの不安はありました。
・悪性度の強いがんゆえPSA値が薬物療法で下がりきるかどうか
・大きな放射線障害を伴わずに治療を完了できるかどうか
幸いにしてこれらの二つの山は無事に乗越えることができました。
次の山は、今後ホルモン療法の薬の効果が薄まるに連れ一旦上昇したPSAが放射線治療の効果出現とともに
再び下がってくるかどうかということです。上がりっぱなしだとすでに微小な転移があるということ。こうなると完治は望めません。
放射線の主治医からは
「PSAの初期値が40、70でダメだった人もおれば、250でこの山を乗り切った方もおられる。
PSAの初期値は必ずしもリスクと比例しない」
と聞いていますが、はてさてこの先どういう展開になるんでしょうか?(私の場合PSAの初期値は147)
平均すると1割前後の人がこの段階で脱落するとか・・・
これを乗り越えると一挙に完治の可能性が膨らむはず、そう思いたい。
今思えば、昨秋からこの年頭にかけてあれほど苦しんだことがうそのようです。
確かに放射線治療の小さな後遺症(頻尿、頻便、軽度の痔のような症状)はありますが、
日常生活にはほとんど影響がありません。1月そこそこで消えてゆくもののようですし、事実、退院後3週間を過ぎた現在、
すでに尿の出具合などにも改善の兆しが見うけられます。
もっと後になって出現する晩期の後遺症もあるようですが、私の場合は特に根拠はないのですが、
それには遭遇しなくてすみそうな予感がします。
楽観的すぎるでしょうか(笑)
C病院の強度変調放射線治療(IMRT)には私のように手術が難しいハイリスク患者のみならず、
ステージBの患者さんも少なからずお見かけしました。
たまたまお話をさせてもらった人のなかには、主治医の紹介というだけで、IMRTの何たるかさえまったく御存知ないまま
治療の恩恵に授かっておられる幸運な方もおられました。
治療効果は手術に劣らず根治も望め、尿失禁、勃起不全等の後遺症が少なく、照射時の痛みもないわけですから
(早期、晩期の放射線有害反応は生じることがありますが)高度に制御された放射線治療は治療期間の長いことさえ問題でなければ、
ステージCの人に限らずもっと幅広くお勧めできる方法といえるでしょう。
こと前立腺がんに限って言えば、外科的手術を第一義的に考えるのは必ずしも正しい選択とは限りません。
腸管を痛めにくいというメリットはあるにせよ、EDの恐れが強い、尿漏れに悩む人も多い、など、
手術にこだわらねばならない積極的な理由が見い出せません。
日本では放射線医、医学物理士が圧倒的に不足していることもあって、重粒子(炭素)線、陽子線を含め、
こうした高度な放射線治療は、偶然それに巡り合えた一部の幸運な人々を除いては、
全体としてはまだ「自ら求める人のみがその恩恵を享受できる」という段階のようです。
マンパワーが行き渡り医療機関全般の水準が向上し、広く一般に門戸が開放されるまでには
まだかなりの時間がかかりそうです。
目を前立腺以外のがん全般に転じてみれば、地域格差、腫瘍内科医の不足、未承認薬と混合診療、
標準治療と情報提供の問題など、まだまだ日本のがん医療行政全体の遅れや不備が目立ちます。
いずれこの辺の問題にも微力ながら関わっていきたいと考えております。
この前立腺がん体験記はひとまずこれにて中休みとさせていただきますが、
今後PSAの変化を追いつつまた随時書き加えさせてもらいます。
前立腺がんの患者さん、特にPSAの高い方、ステージCと言われた方に読んでいただいて、
少しでも参考になったとおっしゃっていただけるなら、これほど嬉しいことはありません。
2005年7月吉日 初稿 (その後小さな修正を数回)
26: その後の経緯 (追記:2011年7月)
まずは当初からのPSAの推移を折線グラフ(片対数グラフ)で見ていただきましょう。
2004年11月時点で147だったPSAは、ホルモン療法のおかげで、2005年5月には0.9(放射線治療前の最低値)まで下がりました。
放射線治療開始時、4月中旬に打ったリュープリン注射が最後ですが、その効果が薄れる6月ごろからPSAが上がり始めました。
一時0.9から3.9に上がった時は、「ちょっと上がり方が大きい」・・・と泌尿器科医は不安顔でしたが、放射線医は「まだ大丈夫!」。主治医が二人なのは心強いですね。
このままどんどん上がるようだと、見えざる微小転移がどこかにあるということですが、
やがて上昇が鈍化、8月から下降に転じました。その後も微減が続き、2006年5月にはついに1を下回った、良し良し!
同時に測定したテストステロンもすでに男性標準域のほぼ中央値まで回復していた。
以後しばらく変動誤差の範囲内で移行する。2006年11月の値0.6が放射線治療後の最低値となる。
2007年から2008年の夏頃までは、概ね平衡に推移していた値が、2008年秋からやや上がり始め、2009年では1.0を超えるのが
当たり前になってきた。1.5を超えると多少気がかりではありますが、まあこんなもの?
(↑PSAの推移グラフならびにPSA検査結果は適宜最新情報を追記更新しています)
病期Cで低分化がんなどのハイリスク患者に対しては、放射線治療終了後もホルモン療法を2年ないし3年程度
継続するという対応が欧米では標準化されつつあるようですが、C病院では今のところ、放射線治療開始と同時にホルモン療法を止めてしまいます。
これまでの欧米のデータにも照射線量の低いサンプルが多く含まれているので、IMRT(78Gy)ではもっと良い結果が出るはず、という強気の見方があるのかも知れません。
もしも前立腺がんが再燃し、ホルモン療法の再開を余儀なくされた場合、始めのホルモン療法の期間が短い方が、
ホルモン不応性となるまでの期間を少しでも長く稼げるという見方が成り立つのは否定できないものの、
うがった見方をすれば、放射線治療の結果をリアルタイムで知りたいという研究者としての欲求が、世界的な標準治療の適用を阻んでいると考えられなくもありません。
結果として見えざる微小転移が無かったけれど、もしもPSAがこのまま上がり続けていたとしたら、
ホルモン療法を早々に止めてしまったことが、唯一悔やまれる点として残ってしまったかも知れません。
どちらが良いかの判断は、まるで一種の賭けのようでもあり、非常に難しいところですが、やはり世界的潮流にあわせて
ハイリスク患者に対してはホルモン療法の長期継続を標準療法とすべきではないかと考えています。
2006年11月の診察日のこと、「HPを読ませてもらいましたが」と切り出されたK先生が、上記の部分について「別に言い訳するわけじゃないですが」とおっしゃりながら、若干の解説をしてくださいました。
・放射線治療後のホルモン療法の有無について比較した論文によれば、確かに「有」のほうが生存率が良いとされているが、「無」の方には、治療後なにもフォローされていない患者さんも含まれている。
「有」のグループと同様に医師の観察下において、適切な時期に適切な処置が施されるならば、おそらくあのような差は出ないはず。
・ホルモン療法にも様々な副作用がある。患者のQOLを重視するなら、投薬しておけばしないよりましだろうといった安易な考え方はしたくない。
・ 放射線治療の前に行うホルモン療法は、がんを短期間に縮小退化させるため複数のホルモン剤を同時に用いるが、ホルモン療法単独の場合には、1種類ずつ小出しにして全体として耐性が生じる期間を長引かせる方が有利となる。放射線治療後のホルモン剤の長期間投与はそれだけ耐性を生じやすくするので、再発に対してはやはり不利。
・ 放射線治療後のホルモン療法の有無を比較した例の論文は、放射線医が中心となっているが、ホルモン療法に内在する副作用にはほとんど言及していない。当施設では放射線治療後のホルモン療法については放射線医・泌尿器科医が相談しつつやってきており、その結果として今のところこの方式でよかろうという判断なわけで、結果を早く知りたいためではありません。
なるほど、いちいち納得することばかりで、生半可な知識で書いた上記の文章が恥ずかしくなってきました。
「決してHPを修正して欲しいと言ってるわけではありませんよ」との言葉に甘えるわけではないのですが、ここでは修正という方法をとらずに、こうした経緯をそのままお伝えし、先の文章を残したままK先生の解説も付け加えさせていただくことにしました。
HPを読んでいただいた上、こうしたコメントまで頂戴できて、私は患者としては幸せ者ですね、感謝、感謝。
(この部分の追記 2006/11/11)
放射線治療終了後に一旦上がり始めたPSAが再び降下に転じるかどうかという、
運命の分かれ目ともいえる最大の山場を無事乗り越えることができ、PSAの低値安定傾向が見えてきました。
くじ運、金運、ギャンブル運には縁の薄い人生を歩んできましたが、どうやら土壇場になって幸運の女神が微笑んでくれたようです。
がんという病に「完治」という区切りを与えるのはなかなか難しいのですが、5年先、10年先まであれこれと気に病んでもしかたがありません。
今は、この結果をひとまず「完治」と信じて、素直に喜びたいと思っています。
日本のトップレベルの治療を施していただいたC病院の泌尿器科、放射線科の両先生を始め、
入院中お世話になった医療スタッフの方々には、心より御礼申し上げます。
励ましや見舞いを頂いた友人の顔も次々浮かんできます、このたびはご心配をおかけしました。
もうだいじょうぶでしょう・・・ほんとうにありがとう。
2008年の秋ごろから、PSA値は上下に変動しながらも、全体的には緩やかに上昇しつつあります。
2回上がって1回下がるというパターンが多いようですが、男性ホルモンの自然変動と連動してPSA値も変動するということなので、さほど心配はしていません。
ただ、2連続上昇時には、やはり次の結果が気になりますね。時にはじっとがまんも必要ですね、PSAと付き合う以上、これは宿命みたいなものでしょう。
腺友の皆さん、できるだけ呑気にのんびり行きましょうね!(^_^)/~
一旦ほぼ安定していたPSAが2011年の後半からまたじわじわと上がり始めています。3連続上昇し現在(2012年2月)の値は2.07。
放射線治療の再発の定義「nadia(最低値)+2.0」から言うと、私の「再発」は 2.57 ですから、余裕はあと 0.5。
最近の上昇幅を見てみると、0.15→0.26→0.36 となっているので、まだ短期とはいえ「加速度」が気になります。
次回は3ヶ月先(2012年5月)だが、ことによるとヤバイかも。(^^;
放射線治療を終えて6年と8カ月、ここにきてイエローカードをちらつかされるとは・・・
「再発」の可能性を決して忘れていたわけではないけれど、運命の神さん、いまさらそれはちょっと薄情なんじゃないの?
おあと、よろしくたのんまっせぇ〜
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
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