虹の橋のたもとへ


年末になると毎年恒例の「今年の漢字」が発表されます。
2004年は何度も日本を襲った台風や地震による被害から「災」の字が選ばれました。
つい先日もその字を清水寺の貫主が大書しておられるのをテレビで拝見しましたが、 斜めに立てかけた大きな色紙にさして気負うでもなく、墨量たっぷりの筆で、 墨が飛び散りしたたるのも意に介さず、悠々と筆を運ばれていました。
今年何度も日本を襲った台風や地震による被害もさることながら、 画面にアップになった「災」の字を見つめていると、その出来栄えに感心しながらも、 近頃の自らの体調不良ともだぶりながら、あの時のまるで事故とでも言えそうな、 カンの突然の「災」がついつい浮かんできてしまうのです。

「災」
「今年の漢字」の揮毫

愛犬と暮らす以上、別れというものはいつかやってくるものだと頭では判ってはいましたが、 それがこの歳の秋、こんなにも突然にやってこようとは予想だにしませんでした。
まだ八歳足らず、老いの入り口に差しかかったばかで、 自らの一生をゆったり振り返る老後の生活を知らずしてこの世を去ってしまったのです。
こうした話は気が重くてなかなか書く気にはなれませんでしたが、 時間の経過と共に正確さを欠いて風化させてしまうよりは、 たとえそれが辛い記憶であろうとやはり思い切って書き残しておいたほうが良いだろうと、 歳の瀬が近づいてから思うようになりました。

今から思えばこの歳の夏頃からでしょうか、自宅で仕事をしている時は私の足元に横になっている ことが多かったのですが、これまでなら 私がトイレに立つだけでもすぐ立ち上がって後を追ってくるようかカンが、 目線で私の姿を追うだけでまた席に着くまでじっとしてることが多くなってきました。 「熟年」になってようやく落ち着いてきたのかな、あるいは 出かける時と戻ってくる時の区別がつくようになったのかな、などとあれこれ思ってはいたのですが、 ことによるとそのときから身体のどこかに変調を来たし初めていたのかもしれません。
ただ、散歩の時のはしゃぎ具合を思い出すととてもそうとは思えないのですが、 果たして実際はどうだったのか、今となってはだれにも判りません。
もしそのとき医者へ連れて行き詳しい検査を依頼しておれば・・・とか、他にも 次々と「もし・・・しておれば」が頭に浮かび、しばらくは自責の念にかられました。

私のネット上のハンドルネームは"カンの父さん"(注:後には"ひげの父さん"とも)と言います。
「カンの父さんの掲示板」なるものに日々の出来事を書き込んで 主にランニング仲間とのおしゃべりを楽しんでいるわけですが、 なるべく事実関係に正確さを期するため、その掲示板への カンに関する書込みを引用しながら当時の話を思い起こしていきたいと思います。

2004年の初秋はまだまだ夏かと錯覚するほどの日々が続いていました。

【余談ですが】 2004/9/2

中野孝次さんという方が居られますが、 これまでには「風の良寛」ってのを読んだぐらいだったのですが 7月ごろだったかに紀伊国屋で中野孝次さんの追悼コーナーてのができていて あれぇ、なくなられたんだぁと軽いショックのまま本棚を眺めていました。
そのときに表紙に犬の絵が描かれた「ハラスのいた日々」という本が眼に入り、 おお、この人も犬好きやったんや、と思いながらぱらぱらページをめくっていて ドキッとしました。
なんとところどころに写ってる犬の写真が我家のカンそっくりなんです!
ともかくそれだけで本を本棚に戻せなくなり、そのまま買い求めてしまったのですが、 読み進むうちにほろリとくる場面も多く、おまけにカンとよく似た写真をみるたび、 イメージが重なり余計に泣けてきたり・・・
数日前に読み終えましたが、なんかまだそれが頭に残っていて、 今日もふと一人で待ってるカンを思い出し、早く帰ってやろうかなと思ったしだいです。
いつもどおり眼をくりくりさせて飛びついてくれましたヨ(^^)/

ハラスの写真
「ハラスのいた日々」より


この本ではハラスが行方不明になったときご夫婦で必死になって飼い犬を探すもようが 緊迫感を伴って書かれていました。年老いて亡くなる最後の場面にも涙を誘われましたが、 まさかまもなくそれを追体験するはめになろうとは・・・

【くそぉ〜 逃げおったぁ】 2004/9/3

腹が立つことありゃしない!
今朝はちょっと疲れていまして、たぶん6:30頃だったと思うのですが、 例によって起こしに来るのですが、無視して寝てました。
短く大きな声でワンと一吠えするのが「早く起きろ」もしくは「早く散歩に連れて行け」 という意味なのですが、何度もしつこく起こされやっと7:30頃に起きました。 で、すぐに散歩に行けばよかったのですが、新聞もってトイレに入ったのが 気にさわったんでしょうなあ・・・
「こんなやつと付き合っておれん!」とぷっつんしたんでしょうか、 トイレから出てきたらおりまへんがな(^^;
最近は情緒も安定しベランダの窓を開けっ放しでも出て行くことはなかったんですがねえ。
役所へ出向く用事を後回しにして、今日は自宅で仕事です。
こらぁ〜、はよ返って来い!!!


【やっと御帰宅】 2004/9/3

えらそうにワンと一声ほえて帰って来ました。
たいていだまってそばに走ってきてゴメンゴメンと裏向くのですが どうも今日の様子からすると、自分は正しい!と思ってるようですなぁ・・・
腹が立つので飯は抜きじゃぁ!
さぁてと入れ替わりに出勤させてもらいます。(^^)>


脱走はほめられたものではありませんがひとまずは元気な証拠。 朝の飯は抜きましたが夜はちゃんと食べさせてやりました。
その後もしばらくは特に変化はなかったのですが・・・
9月の中頃からでしょうか、ちょっと様子がおかしくなってきました。

若き日のカン-(1)
若き日のカン(1)

【長居6時間走】 2004/9/18

朝から行くつもりでしたが、ちょっとカンの具合がおかしくて 病院へ連れて行ってからになったので着いたのはお昼頃。 4時間走になってしまいました。
一昨日あたりから確かに妙におとなしかったのですが、昨日からモノを食べないのと 胃から戻すようになり、ま、たまにゃこんなこともあるので大丈夫だろうぐらいに 思っていたのですが、今朝は散歩にも行きたがらないし、飲んだ水分までえずいて 出してしまい、階段を登る足元が頼りないのでこりゃあかん!と思い急遽医者に 連れて行きました。熱はないので風邪ではなさそう、原因は不明だが胃腸薬と 吐き気止めの注射と飲み薬(錠剤)をもらって帰りましたが、今のところまだ まったく回復の兆しなし。
現在は足元で横になっていますが、ほとんど動こうとせず覗き込むと 悲しそうな目でこちらを見ます。しゃべってくれたら良いのですがね。

明日の山練もなんとなく気がかりではあるのですが、 まあいざとなれば夜間救急の動物病院も車で30分ほどのところにありますので その点は助かります。
アフターはなしで失礼させてもらいますが悪しからず。


ゲリが2〜3日続くというのはこれまでにもしばしばあったし、 いつも自然に治っているのでそう気にはならなかっただが、 食欲がなく散歩にも行きたがらない、その上水まで吐くというのはやはりおかしい。
連休前なのでなんとしても今日診ておいてもらったほうが良いだろうと 思ったのだが、特別に容態が悪いという意識がこちらになかったせいか、 お医者さんにも緊迫感が伝わらなかったのでしょうか、特に詳しい検査もせず
「腸炎でしょうね、水を飲ませて薬を与えれば無理やり食べさす必要はないでしょう」
ということになってしまった。
事実、診察が終わったら診察台から飛び降りた。
なんだけっこう元気じゃない。
帰ってから薬を食べさせようと好きなスライスチーズに包んで与えるが 口をそむけて食べてくれない。
「無理やり食べさす必要はないでしょう」と言われたせいもあって 気にはなりつつもそのまま様子を見ることに。

若き日のカン-(2)
若き日のカン(2)

9/19(日)、「山練」の日で東海自然歩道を箕面から嵐山へ向けて走ることになっていた。 私が案内役なものでカンが気がかりなものの、家内にまかせて走りに出る。
走り終わってから風呂に入って打上げをする予定だったがこれは省略、 お先に失礼してあわてて帰宅する。
帰るなり家内が「やっぱり心配やからどこか医者に連れてって」という。
夕方まで様子を見たものの、元気がないままで今日は尿もしていないという。
あわてて前もって調べておいた箕面の夜間救急動物病院に行くことに。 健(息子)がカンを抱いて一緒に車に乗る。
車の中で動物病院に電話を入れて容態を話すとすぐに連れてきてくださいとのこと。 車の中でちょっと目が黄色いような気がすると健が言い出す。なるほど、そういえば。
夜間救急病院まで担ぎ込んだところ、すぐに血液検査をしてくれたのだが、 結果が判明するなり腎機能が極端に悪く危篤にちかい重症と告げられた。
予想をはるかに超えた宣告にぞっとする。
救急病院に担ぎ込んで、「たかがこの程度で」と言われはしないかと そのほうを気にしていたぐらいだったのに。
目の黄色いのは黄疸が出ているからだという。
体毛が黄色がかった薄茶なので気がつかなかったのだが肌の黄疸もひどいとのこと。
引き続きレントゲン、エコーの検査も受けたが、ともかくこのまま排尿ができないようでは 命が危ないと言われ、夜間救急病院の終わる午前3時まで長時間の点滴を受け続けた。
あまりにも急激な場面の進行に頭が付いていかない。
医者からは「何らかの毒物もしくはレプトスピラ症が疑われる」と聞かされる。
レプトスピラとは人・畜共通のきわめて恐ろしい病気とのこと。
途中、点滴の待ち時間に家で待つ家内に電話を入れる。
「ともかく思ったより重症らしい」
「・・・・・」

午前3時。我々以外にはもう患者がいなくなり救急病院の中で片づけがはじまる。
点滴を外されて一度外で排尿をさせてみてくださいと言われ連れ出し地面に立たせてはみたが すでに歩き方はよれよれで街路樹の根元で排尿の動作はするもののほんの僅かに出ただけ。
「このままでは危ない。ともかく明日はも医者へ行って尿が出るまでずっと点滴をしてもらう 以外にない」と言われて一旦カンを連れて帰宅することとなる。
もう4時前だが心配して起きていた家内に診察の経緯を説明する。

若き日のカン-(3)
若き日のカン(3)

9/20(祭)、月曜だがあいにくの祭日でかかりつけの医者は休み。
電話を入れても留守番電話になっていたのでこれじゃ間に合わないと思い 他の動物病院を当たることにする。 家内を車に乗せともかく飛び込みで川西市内の動物病院を尋ねて経過を話して処置を依頼する。
すぐ檻に入れられて点滴。
しばらく付き添って様子を見たものの「夕方まで預らせてもらいますから」ということだったので 心ならずも一旦帰宅することになった。自分の容態がわかるのだろうか、 一人置いていかれる時になってもすでに覚悟を決めたかのようにじっとこちらを見ているだけ。

夕方にはまだ少し早いと思ったものの待ちきれずに出かける。 さっそく様子を聞いてみるものの、やはり丸1日の点滴の甲斐もなく尿は出なかったとのこと。
担当の先生が若いせいか「もう先は短いでしょう」とあっさり言われてしまった。
救急病院ではかなり婉曲な表現で示唆されたのだけれど。
このままここで最後まで預けるのか、それともとのかかりつけの病院へ戻るのかを聞かれた。
これまでなじみの無かった病院ゆえ止むを得ないとは思うが、あまりにも淡々と割り切った態度だったこともあり、 最後はやはりかかりつけのK先生に見てもらったほうが良いだろうと思って検査データと共に カンを引き取って帰ることにした。
K先生は今回はカンの容態を見逃したかもしれないが、 以前バベシア症でお世話になったときには一度カンの命を助けてもらっている。
もしこのままカンを亡くしてしまっても、いっしょに哀しんではくれるだろう。

夜、K先生から予期せぬ電話あった。 夜間救急動物病院から連絡が入ってきて驚いたとのこと。
「まだあの時は元気そうだったし血液検査まで必要とは思わなかったんですが・・・」
確かにこちらもたいしたことはないという態度だったろうし、 事実それほど弱っても居なかったし、もちろんそのときは黄疸もなかったはずだ。
「なぜあの時に医者としてもっと早く気づいてもらえなかったのか」と言いたい気が 胸の奥にあったのは確かだが、それは言えないし、言ってはならないことだろう。
「ともかく明日の朝連れて行きますのでよろしくお願いします」

カンを蒲団の横に寝かせるが目が悲しそう。
なんか言いたいのだろうけど・・・
様子が気になってとてもじゃないが眠れない。

カンの顔、2004年の夏
2004年-夏

9/21(火)、家内は出勤だ。
私も午後から打合せがあるものの、ともかく早くカンを病院に連れていかないと。
まだ早いとは判っていたものの待ちきれずに家を出る。
しばらく玄関まで待っているとやがて看護師さん、やや遅れて先生も見えた。
まず一目見て極端な衰弱振りと黄疸のひどさに驚かれた。
血液検査をしてみる。
「これほど急激な容態の悪化は診たことがない」
検査データも一昨日、昨日、今日とどんどん悪化しているとのこと。
「できる限りのことはやってみますが・・・」
急いで点滴の処置。
預かるので緊急の連絡先をということで携帯番号を伝え一旦自宅に帰る。

一人になり掲示板をチェックするとカンの容態を心配してくださる書き込みが多い。

【カンのこと】 2004/9/21

御心配いただいてる皆さん、どうもありがとうございます。
まだ気持ちが落ち着かないので詳しくは言いにくいのですが、 土曜の午前中にかかりつけの動物病院で診て貰って以降も 回復どころが症状が急激に進行。原因も諸説あれど未確定。
連休の間に夜間救急病院、新規の動物病院でもいろいろお世話になり 今朝からはまたかかりつけの病院に戻って入院の運びとなりました。
私は睡眠不足ぐらいですが、ヨメハンは食事も喉を通らぬ様子です。
ちょっと泊りがけで家を空けるような気分にはなれませんので、 勝手ながら村岡(注:村岡町で開催される100kmウルトラマラソン)も 辞退させてもらいます。


2004年秋
2004年-秋

午後からの打合せの為早めの昼食をとっていると携帯が鳴った。家内からだ。
「預かってもらってるがなるべく早めに帰って来たほうが良いかも」
出かけようとして着替えているとまた電話。こんどはK先生からだ。
ちょっと慌てた声で
「つい先ほどからカン君の容態が急変した、もう長くは持たないかもしれません」
大急ぎで車を飛ばし病院へ。
車中、仕事先へ電話を入れ適当な理由を言って打合せの延期をお願いする。

かけつけると、口の傍に泡を飛ばしてゼーゼー肩で息をしている。
朝はまだ元気がないなりにも落ち着いていたのになんという変わり様だろう。
近づくと私だと判ったのだろうか、首をこちらへ向け最後の力を振り絞って もがきながらもわずか一瞬の間ではあったが懸命に立ち上がった。
「あ!立った」と看護婦。
医者も「意識も混濁してわからないはずだけど・・・」
倒れかかるのをあわてて抱きとめてみたがもうこんどは動こうとしない。
あえぐ様を見ていたが徐々に体重が負担になってきたのでゆっくり床に下ろした。
あとは傍で見守るより他はない。 ぜーぜーと吐く息で唾液が泡となりその泡が口の隅に粘りついている、それを ティッシュでとってやることぐらいしかできないのだ。
すでに肝臓・腎臓が急激に悪化し多臓器不全状態で手の打ちようがないという。
重苦しい時間が1時間ほど経過していた時、思わずあっと声が出た。
横になった口から突然血が一筋流れ出した。
看護婦がガーゼがなんかを取ろうと慌てて動き回る。
しばらく口元の血を拭いてやったりしているうちに、 今度は突如身体を震わし手足をつっぱるような感じになったと同時に大量の吐血と下血。 そのままガクッと首を垂れて誰の目にも今息絶えたことがありあり。
みぞおちにズンというショックが走り、血の気が引き、どこか遠くの方で 「亡くなられました」という先生の声を聞きながら 私は突っ立ったまま指先がしびれていました。
みぞおちを締め付けられるようだしどこか頭もぼーっとして、血のあとしまつも任せっぱなしで ふらふらと病院の外へ出てしまいました。
涙を見られたくなかったのもありましたがともかくその場から逃れたかったのでしょう。
胸が熱苦しくて、少し歩き出したところにあった自販機の前で気分を落ち着かせようと飲んだ アイスティーが喉を降りていった感触だけは今でも良く覚えています。

 最後はさぞ苦しかったろう。残念だったろう。
ひょっとして私は見てはいけないものを見てしまったのではないだろうか。

再び病院へ戻ると「連れて帰られますか」と聞かれ、どうすべきなのかとっさには言葉が出てこない。 そうだ亡くなってしまえば自分でやるしかないのだからと気を取り直し
「ええ、抱いて帰ります」
と答えたものの 抱けばまた血が出てるからということで結局ダンボール箱に入れてもらうこととなる。
そうこうしてる時にまた家内から電話。
「今は?病院?」
午前中で早退して今こちらの駅に着いたとのこと。
とてもじゃないが電話口で「死んでしまった」とは言えない。
「病院だけどともかく迎えに行く」と言って電話を切る。
出ようとすると看護婦が「もう車に積み込めますけど」と言うものの、 ちょっとそれは無神経でしょう。 いきなり変わり果てたカンの姿を家内に見せられますかぁ?
「ともかくもうしばらく預かってください!」
家内を迎えに行き病院へ引き返す車の中で亡くなった話をする。
動揺しおもわずグチをこぼしかける家内に
「ともかく病院では余計なことを言わずお礼だけを言って帰ろう」ときつく言う。
カンと顔を合わせて激しく泣く家内を追い立てるようにして ダンボールを車に積み込み家へ帰った。

あまりの突然の事ゆえあとの段取りは何も考えていなかった。
市に聞いてみたところ、ペットの火葬はするが週に2回、他のペットや動物などと 一緒にまとめるので遺骨は渡せないとのこと。これではカンが可哀想だろう。
ネットで調べると宝塚市内の動物霊園で火葬が頼めるとのこと。 墓を霊園に建てる気はないが遺骨の持ち帰りも可能とのことなので ここに持ち込むこととする。
娘と息子にも連絡をして身内だけの通夜をすることに決め、 寝室にふとんを敷きカンを寝かせ周囲に氷を抱かせる。
いつまでもじわじわと垂れる血を横に座った家内がこれまた いつまでも拭き続けている。
夜、皆がそろってから線香の煙が流れる中でカンの最後の様子を話してやるが ええオヤジのくせをして情けないことにボロボロ涙がこぼれてしまう。

 私と家内の間にカンを寝かせるのもほんとうにもうこれが最後だ。

9/22(水)朝、動物霊園へ連れて行く準備にかかる。
病院で入れてくれたダンボールは小さすぎたのとよれよれだったので 座布団を入れてあったまだしっかりしたダンボールを加工し 内側から頑丈に布製のガムテープを張ってカンの棺とする。 見てくれも綺麗にしてやりたいので 壁紙を買いに行ってダンボールに貼り付けて上の扉に白い紐も着けて 棺らし装いにする。 シーツと白いバスタオルを中に敷きカンを入れる。
昨夕は小雨が降り庭のアベリアが洗われて綺麗だったので 刈り取って一緒に入れてやった。 これでやっと良い雰囲気になった。
最後の写真を撮ってやろう。

お別れ
お別れ

 11時ごろ車でそろって宝塚動物霊園に行く。 受付を済ませ坊さんがお経をあげてくれ火葬場に移動。 火葬の間1〜2時間待たされてから骨壷に遺骨を詰めて持って帰る。
遺骨の部位のこまごまとした説明はむしろ聞きたくなかったけれど。
 床の間に遺影と並べ線香をあげて手を合わせる。

 夜、落ち着いてからパソコンに向う。

【続:カンのこと】 2004/9/22

恰好をつけてしばらく黙ってようかとも思ったのですが・・・素直に白状しておきます。
昨日の昼1時過ぎ、カンを亡くしました。
夕べは遺体と並んで寝ました。
今夜は遺骨を枕元に置いて眠ることになりそうです。

沢山の方にカンの心配をしていただきました。
どうもありがとうございます。
ダイレクトメールを頂戴した方も数人居られましたが返事が出来ていません、ごめんなさい。
今回はちょっとした励ましも身にしみて嬉しく思いました。
不覚にもこの2〜3日の間に何度か涙があふれ出ましたが、
今でも一人で絶えるにはまだまだ悲しみの量が多すぎます。

思い出に蓋をしたとて悲しみは減りません。
ならばいっそ思い出とまっすぐ向き合ってみるのも悪くないのではと考えています。
墓も小さなのを庭に作ってやろうかと。
私のわがままでしばしカンの写真をアップさせてもらいます。
額に入れたこの写真が今遺骨と一緒に並んでいます。

カン遺影
カンの遺影 2004年9月下旬

今も寝室の床の間にはカンの遺影が置かれています。
カンの訃報を「掲示板」で知って手向けてくださった花束が、 遺影の横で思いのほか長い間良い香りを出してくれていましたが、 それが枯れて以来、こんどは家内が代わって花を絶やさぬようになりました。

毎朝の散歩の習慣もなくなり、以前良く出会っていた犬連れの散歩仲間にも カンのことを尋ねられるのがなんとなくうっとうしくて、 朝のそういう時間帯はついつい家にひきこもることが多くなってしまっています。

夜間救急病院では レプトスピラ症 の疑いがあると言われましたが、 実際インターネットで見るかぎりカンの症状はこれの激しいケースと良く似ていました。
原因をはっきりさせたくてかかりつけの動物病院で検体検査を依頼したのですが、 後日判明した結果ではレプトスピラ菌は検出されなかったようです。
なんらかの毒物中毒かもしれないと言うのですが脱走直後ならまだしも、 脱走以降も数日は健康な(少なくともそう思える)日々を 過ごしてから後の話ですからこれもどうも納得がいきません。

ゲテモノを拾い食いする習慣はなかったし、 どちらかというと食い意地が張ってなくて小食の部類だったかもしれません。
本人はしゃべらないし、よほど身体が悪くならないかぎりは散歩だって 普段どおりに出かけるし、こちらからもっと早く気づいてやるべきだったのかも 知れないのですが・・・こればかりは今となってはなんともはや。
見逃してしまったかもしれない小さな異変をあれこれ考えだすと 自分にもどこかで落ち度があったような気がして いたたまれなくなる時もあります。
急変、壮絶な最後、残ったのは遺骨だけ・・・という冷たい現実を前にして 掲示板仲間からの励ましはほんとにありがたいものでした。
いろんな形で励ましていただいた一人一人のお顔が浮かんできます。
そうそう、「虹の橋」というお話(童話?詩?)も教えていただきました。 子供だましの話と言ってしまえばそれまでですがやはりそう言ってくださる気持ちが うれしくて気が和みました。
天国のほんの少し手前には「虹の橋」が架かり、そのたもとには原っぱがあって
現世で愛し愛されてた動物達は亡くなると皆そこに行って遊ぶのだとか・・・・・

おい、カンよ! ほんとかい?

2003年頃の写真
2003年頃


(完)